2012年12月21日金曜日

やさしいきもち


とある仕事の会合でとなりに座ったおじさんと話した手作りハンバーグ。
おじさん覚えててくれて、ほんとに作ってくれた。


おじさんの友達、もう一人のおじさんが作ってくれたゴマプリン。
やさしい味。手料理作ってくれるおじさん友達ばんざい。


やさしい気持ち。

2012年11月27日火曜日

小さな幸せ

日曜に恐らく今年最後であろう上海蟹を食らう、かにかに会が開催される。

先般食べたかに。このおうちはお皿がかわいい
いつもおいしいものを食べさせてくれる開催者へお礼に何か作れないかしらと
昨日からもんもんと考えていた。

私がいつも買い物に行くのは、ローカル市場だから鶏は顔、首、足つきの
丸ごとで買わないといけないし、中国人は家庭であんまり牛肉を食べないみたいで
牛肉屋の肉は(市場の肉屋は鶏肉、豚肉、牛肉で店が分かれてる)鮮度が
悪そうなのであんまり買いたくない。
ということで、消去法で豚肉料理に決定。
豚肉はいつも買ってるけど、これまで特に問題ないのでたぶん大丈夫。。
パーティーメニューに挑戦しよう!と思い立ち、メニューはローストポークにけてい。
しかし、問題はフレッシュハーブ。バジル、ローズマリー、ミント、オレガノ
などフレッシュなハーブが手に入らないハーブ後進国、中国。

ハーブをどこで手に入れようと悩んでいたら、なんと!
会社から家に帰る途中の小さな花屋さんで、ローズマリーはけーーん!
ローズマリーだけでなく、ミントもバジルもあった!
結構大きな鉢で10元(130円)でした。
中国にいるとこんな小さな事が幸せに感じられる。
今日はローズマリーを偶然発見した以外にも嬉しいことがいくつか。
12月末に高校の先生の結婚式で日本に帰ることができそうなのと、
金曜日に楽しそうな飲み会に誘われた〜♪

本日の収穫 ローズマリー

2012年11月21日水曜日

開発という犯罪

中国政府の鉄鉱石採掘事業で、アフガニスタンで発掘中の仏教遺跡
「Mes・Aynak(メスアイナク)」が破壊される危機に瀕している。

このメスアイナクは、首都カブールから35キロほどのところにある
4世紀の仏教都市遺跡で、現在もフランスやイタリアなど外国が主体の
発掘チームによって、当時の寺、仏像、仏塔、壁画など歴史的に
かなり重要な遺跡が発掘されている。
タリバン政権が崩壊し、発掘チームが本格的に発掘を開始できたつい最近まで
土の中に眠っていたため、かなり保存状態がよいそうだ。

画像は全てAFP通信とCNNの写真を拝借

どう考えても世界遺産レベルの遺跡を、天然資源欲しさ、金欲しさに
中国政府が掘り返して、壊してしまおうとしている。
地元に利益を還元しないなど、やり方が汚いと南米での採掘プロジェクトが
非難されているアメリカ企業ですら、遺跡は壊さないよ、さすがに!

アフガニスタンがいつか平和になったら、バーミヤンやメスアイナクなど
玄奘三蔵が立ち寄った遺跡をいつか自分で見てみたいと思っていたのに…
なんでこんなひどい事ができるんだろう。
シルクロードをちょっとかじっただけの私ですら、こんなに胸が痛いのに
今メスアイナクを発掘している考古学者や仏教遺跡の研究者はどんな思いだろう。
なんとかして止める方法はないものか。


AFP通信の記事
メスアイナク遺跡を守ろうとする考古学者のFacebook page

2012年11月15日木曜日

経典を探して

国慶節にシルクロードの旅をして以来、見事に三蔵法師にはまってます。
三蔵法師こと「玄奘」は、今から1400年ほど前に、中国の河南省で生まれ
子供のころから父の影響で仏教関係の本にはまり、なんと10才かそこらで
漢語に翻訳された経典の教えに限界を感じ、もんもんとしていたところ
父を亡くしたのをきっかけに、サンスクリット語で書かれた本場の経典を
学習するため、徒歩と馬でインドまで行っちゃったという、とんでもない坊さん。

顔は普通のおっさんだね。
三蔵法師と言えば、西遊記の宮沢りえだったので、女のお坊さんかと
思ったら、おっさんだったのね。
玄奘さんの偉業を知るためにまず読んだのが、岩波新書の
玄奘三蔵、シルクロードを行く」。アフガニスタン学術調査隊の
隊員だった著者が、 玄奘さんが出身地洛陽付近を出発してインドに辿り着く
までを記した「大唐西域記」の記録に忠実に、玄奘さんの旅を解説している本。
この本は玄奘さん残した記録に脚色が一切ないので、玄奘さんの偉大さと、
旅の行程がすごく分かりやすく書かれている。

そして今読んでいるのが、玄奘さんの1200年後、大阪に生まれたお坊さん
玄奘さんと同じように、仏教の原典を求めて、当時外国人の
入国が厳しく禁止されていたチベットに、チベット人になりすまして入っちゃった
執念のお坊さん日記「チベット旅行記」全5巻。
チベット旅行記なんて、どっかのブログみたいなタイトルだけど
中身はとても真似できる代物ではない。チベットに入国するため
インド国境の村でチベット語をマスターしながら、密入国の機会を
伺うこと2年、意を決して、とんでもない雪山を徒歩で越えついにチベットに。

さらーっと書いてしまったけど、玄奘さんも
玄奘さんに至っては、1400年前に用意できる程度の装備で冬の雪山に
玄奘さんが長安を出発して、西へ西へ原典を求めた旅が
まさしく先月わたしが行った新疆ウイグル自治区の旅。
カシュガル、クチャ、ホータン、 これ全部昔仏教王国が栄えていた都市。
玄奘さんも、これらの都市を訪れて、手厚く歓迎されたり、教えを説いたり
仏塔や伽藍などその土地土地の仏教建築を勉強したりしていった。
この旅行で、玄奘さんが訪れた都市の遺跡を見ていたなんて、
旅行の前に、シルクロードについてもっと勉強していくべきだった…。
ぐやし〜よぉ〜。
くやし過ぎるので、

玄奘さんが訪れた都市のひとつ、スバシ遺跡。このでっかい城跡で玄奘さんは接待をされていた
乾燥と強風でほとんど風化してしまい、土台しか残っていない
でも玄奘さんは確かにここに来た。この穴を通ったかも?

2012年11月10日土曜日

調査と作戦

ほぼ一週間かかった提案がやっと終わったと思ったら
契約書の更新やら、来週の展示会の準備やらで今週も
あっというまに終わっていた。

ということで(どういうことで?)、昨日久しぶりにマッサージに行った。
マッサージ師は黒龍江省出身の50番、趙(Zhao)さん、女性、24才。
いつもは本を読むか、寝てるかだけど、なぜか昨日は外地から出稼ぎに
来てる普通の中国人の実態にせまりたくなり、マッサージの間
趙さんとカタコトの中国語で話してみた。

趙さんについて分かったこと
◆週6、午後4時から午前2時までのシフトで働いている
◆給料は歩合で、お客が支払った金額の2割程度が給料になる
◆黒龍江省出身で、2才年上のお兄さんがいる
(ちなみに来年結婚予定)
趙さんは彼氏なし、「彼氏は疲れるからいらない」とのこと
◆高校時代の友達が東京のソニーで働いているとのこと
(私が「その人と付き合いなよ!」と言うと、彼は大学でているから
わたしとは釣り合わない的なことを言っていたのが印象的)
◆上海から黒龍江省まで列車で帰省するのに33時間かかる
◆お母さんと電話するたび結婚のことを聞かれ面倒くさいらしい
◆20才の時上海にきて、マッサージ師歴4年
◆4年も働いているけど同僚のマッサージ師の名前は知らない
(マッサージ師にはそれぞれ番号があって、同僚同士でも番号で
呼び合うらしい。「ほんとに一人も名前しらないの?!」と
聞いたら、全然知らないとのこと。趙さんはウーリン(50)と
呼ばれている)

若干はたちで大都会・上海に出稼ぎにきて、お互いを番号で呼び合う
職場で週6で外国人のマッサージをする趙さん。
中国にはこういう子がたくさんいるんだろう。わたしの会社の子みたいに
ホワイトカラーでオフィスワークをする若者は一部で、中国の大部分は
趙さんのような若者で構成されてるんだろう。
マッサージをしてもらった後、なんだかその日は趙さんにおいしい夜ごはんを
食べてもらいたくて、めずらしくチップを渡した。 

こうして、至福のマッサージ時間は、私にとって
本当の中国人の実態調査兼、色々話しを聞いて、チップを渡し
「日本人っていい人」と思ってもらうための作戦を実行する場となりました。
そしてマッサージ師さん相手に中国語を練習するまたとないチャンスでも
あるのです。ストリートファイトならぬ、ストリートラーン(Learn)

今度は熟練マッサージ師の実態に迫ります。

2012年10月31日水曜日

Silent Shanghai(山下達郎風)

今、上海は午前3時15分です。
明日提出の提案書作成で、あと3時間は帰らなさそうなのに
ちょっと煮詰まったので、ブロギング〜。

昨日は朝5時まで起きてたんだけど、上海に来て始めて
「静かな上海」を知りました。
会社を出ると小雨が降っていて、タクシーから見る夜の上海は
相変わらず汚いんだけど、家に着いて、寝ようとベッドに入ると
しとしとと小雨が地面を打つ音が聞こえた。

小雨の音が聞こえるほど静かな上海ってあるんだ、と少し感動。

雨の日の道玄坂のスタバが懐かしい

2012年10月28日日曜日

のらない

マカオのおいしいごはんの話を書こうと思っても
いまいち、気分がのらない。

というか、全体的に何に対してものらない。

上海に来て思う事。

日本にいた頃は好きな人に囲まれて生きてたんだなー。
80%くらいの時間は好きな人達と過ごしてた。

上海は、、、8%くらいかな。その差10倍!!

あー、好きな人達に囲まれたい、囲まれたい。

こっから血でてるの。

2012年10月16日火曜日

南新疆シルクロードの旅7日目:南疆鉄道で天山山脈越え

シルクロードの旅7日目、というより6日目の深夜から始まる
寝台列車による天山山脈越え!

この列車の旅、結果から言うとなかなか辛かった。
というのも、直前にクチャのバザールで食べたシシカバブの肉
火の通りが甘かったみたいで、とんでもない下痢に襲われた。

このシシカバブ、美味しかったけど火の通りが…
電車に乗って1時間もするとお腹がコロコロいいだして、これは?!と思って
トイレに駆け込むと、食後ものの1時間で見事な下痢に。
しかもこの旅、3食毎回満腹になるまで食べてるので、でてくる量もはんぱない。
お腹のコロコロ→トイレ駆け込みを30分おきに3時間は繰り返してたけど
一向に量が減る気配がなく、あたしこんなに食べてたんだ、と寝不足で
ぼーっとしながら、自分の食べた量にびっくりした。
寝台列車は4人1部屋で何度も扉を開けたり閉めたりするのがためらわれたので
外の折りたたみイスに座って、コロコロと格闘すること3時間。
ついに、コロコロを感じてトイレに行ってもおならで終わるようになったので
部屋に戻って寝ることに。おならぶーぶーしてたので、同じ部屋だった
フーダオ夫妻、すみません。この場で謝ります。

この下痢さえなければ、寝台列車で天山山脈を越えるシルクロード列車の旅は
すごく快適でした。一番値段が高い席だったので、ベットはそこそこ心地いいし
相部屋だった中国人が日本人3人に囲まれて、嫌になったのか途中で出て行ったので
実質3人で部屋使えたし。あったかいお湯もあるし、トイレも地獄トイレに
比べると全然ましだった。

いくら天山山脈が絶景だからといっても、見てるだけでお腹がいっぱいに
なるわけでもないので、17時間とにかく寝て、食って、本読んでとのんびり
過ごしてました。

南疆鉄道の車窓から(窓きたねーな)
意外だったのが食堂車のごはんがおいしかったこと。
南疆鉄道に乗った人のブログを見ると、ほとんどの人が美味しくないって
書いてたけど、私はごはんもおかずも完食しちゃいましたよ。
中国に来て間違いなく、おいしいのハードルが下がりまくってますよ。

食堂車の様子。最終日にして偶然のペアルックを披露する夫妻
ベッドの上でだらだらしながら気が向いたら本を読んで、ガイドさんに
呼ばれたらごはんを食べて、列車の旅もなかなかいいもんだ。
(でも読んでる本は柳井さんの「一勝九敗」。けつに火がついた!)

普段着お父さんがバザールで買った手乗りみかん。おいしかった。
寝台列車のテーブル。手乗りみかん、馬さんの携帯、なぞの蜂蜜ドリンク
人生初の寝台列車は、快適で楽しかったけど、もっかいやるかと言われれば
たぶんもういい。私もともと列車そんな好きじゃないから、やっぱ飛行機のがいいわ。

でも鉄っちゃんには絶対おすすめ。同じツアーのひとりさんと普段着お父さんが
鉄っちゃんらしく、スマフォのGPSを使いながらクネクネS字線路を眺めて
「こんなS字はめずらしい!ほらもうすぐトンネルだ!」と嬉しそう。

こうして、3時間の下痢と2度の食堂車での食事、「一勝九敗」一冊を経て
列車はウルムチに到着。ウルムチで少し観光する予定が、列車の到着が
遅れたので、空港近くにある老舗牛肉麺の店で急いで麺を食らう事に。

ウルムチ駅。普通の都会。
3分で完食した牛肉麺。
蘇氏牛肉面というお店。ターミナル2の対面にある建物内にあります。
ウルムチからは飛行機で上海へ、牛肉麺でふくれた腹をさすりながら
搭乗口へ向かって、今回の旅は終わりました。
今回の旅は今までの旅行の中でもTOP3に入ると思う。
色々と楽しかった要素があるけど、やっぱり私は新疆ウイグル自治区という
場所が大好きだと改めて思った。おいしいシシカバブが食べたいだけで
なぜ4000kmも飛行機に乗ったのか、フーダオ夫妻を巻き込んでまで来たかった
新疆。なんか私は新疆という土地にものすごい執着と愛着を感じてしまった。
どんなにトイレが汚くても、乾燥が激しすぎて血の鼻くそが出ようとも
食事がポロとラグ麺の2つしか選択肢がなくても、かわいい子供が
カモメまゆげのおっさんになっちゃっても、新疆が大好きだ。

ウイグル人女性のきれいなスカーフの色、塩だけで美味しいシシカバブ
風化直前の仏教遺跡、とにかく羊攻めの新疆料理、ウイグル人男性のイスラム帽子
全体的に赤茶けた街、新疆のぜんぶが好きだ。

また絶対新疆に来よう。まだまだ見たりないもの、やり残したことがいっぱいある。
次はガイドの馬さんと約束したように、バザールで羊を買って
ドライバー・ウメルさんのおうちに遊びに行って、羊をさばいて
ラグ麺とポロを作って、ウイグル族の人々の生活が見たい。
もっと遺跡をうろうろ歩きたい。バザールを1日中ふらつきたい。
また絶対新疆に行くんだーーー!!!

 
南新疆シルクロードの旅 ー完ー

2012年10月15日月曜日

南新彊シルクロードの旅6日目:クチャ

6日目は南新彊の旅、実質最後の都市クチャ郊外と市内の観光。


カシュガルからホータン、ホータンから砂漠公路でクチャへ。
クチャで観光を終えたら、南彊鉄道という天山山脈の中をクネクネと
走る寝台列車で新彊の首都・ウルムチへ向かう予定。

クチャ観光一発目は、天山神秘大峡谷。スケジュール表には
「赤い岩山の大迫力」とある。


うん、確かに赤くてでかい。観光客はけっこう多め。と言っても上海や北京と
比べたら全然少なくて、気分が萎えるほどではなかった。
中国人ってこういう観光地で写真撮る時、面白いポーズをする。
大仏のポーズしたり、お祈りのポーズしたり、写真は直立不動の日本人からすると
やや滑稽に見えるけど、私もどちらかというと変なポーズをとってしまう方なので
こんな風に見えてるんだと思った。


とにかくでかくて赤い岩が続く。
上の写真は真ん中の岩が判子に見える岩、らしい。見えないことないけど。
岩山の中にいる自分を撮りたくて、何度も自分撮りをするんだけど
全部見事に二重あごになる。。。この旅で3食きっちりお腹いっぱい食べるから
太ったのかも。旅の最初の自分撮りは二重あごじゃなかったのに。

神秘の大峡谷も1時間も歩くと、だんだん飽きてくるので
まだまだ先に進む同じツアー客のみなさんを見送って、私は引き返すことに。
団体行動に若干疲れて、一人で歩きたかったので、音楽を聞きながら
ずんずん一人で歩けるのは気持ちよかった。やっぱり旅は一人で歩く時間がないと。

大峡谷を見た後は、岩山に穴を掘りまくって、そこに仏と仏教壁画を
施したキジル千仏洞に行きました。
ここはなぜか写真を撮ってはいけないらしく、外から外観の写真のみ。


正面に見えるのが千仏洞。ここは日本語ができる専門のガイドさんが
色々解説しながらいくつかの窟を見て行きます。
仏教壁画は仏教の教えである輪廻転生を絵本風に書いているもので
それぞれありがたい(たまにばかばかしい)ストーリーがありました。
この壁画は赤、青、緑などの鉱物を溶かしたもので書かれたようで
2000年近く昔の壁画が今でもきれいにのこっていました。
とは言え、最初にこの石窟を発見したドイツ人が壁画の重要部分をはがして
ドイツに持って帰ってしまったらしく、ガイドさんは「ドイツがはがしました。
ドイツが持っていってしまった」と繰り返し言っていた。
まードイツ人が持ち帰らなくても、文革で紅衛兵がぶっこわしてたと思うので
ドイツ人に持ってかれた方が保存上はかえってよかったのではと思ったけど
どうやらドイツで保管されていたものも第二次世界大戦でかなり損失したとか。
ドイツに持ってかれなかった壁画も、金箔部分は遊牧民や紅衛兵に持ってかれた
ようで、無惨な状態になってました。それでも残っている部分はきれいな
壁画を見る事ができるので、行く価値はあると思います。

キジルの石窟を見た次は、スバシ古城遺跡。
ここもキジルと同じく4世紀くらいの仏教遺跡。この旅の観光の中で
一番のお気に入りスポット。


かなり風化してきれいに残っているところは少ないけどこの廃墟感がたまらん。
1500年前に何万にもの仏教徒が暮らした街。とにかくものすごく広い。
川を挟んで西と東に分かれていて、東は事前申し込みをしないと見れないようで
今回見たのは西側。西側から見る東側の仏塔は西よりも保存状態が良さそうで
次回は東側もぜひ見てみたいと思いました。
広大な遺跡をとことこ歩きながら、ここには住んでた人はどんな暮らしを
していたんだろう?とか、この穴には大仏でもあったのかなーなんて考えるのが
遺跡巡りの醍醐味じゃないでしょうか。

ここでちょっと新彊の遺跡話を。
タクラマカン砂漠の中には「楼蘭王国」という約2000年前から存在した
国の遺跡がある。この楼蘭王国の遺跡は、中国国内のツアーでは行くことが
できず、海外のツアーに参加しなくてはいけないそう。
トルファンから砂漠を突き進むのが一般的なアクセスのようで
この道中がとにかく大変で、ツアーにはガイド、ドライバー、医者、衛星電話と
帯同しなくてはいけない人&物がいっぱいで遅くとも半年前に申し込まなくては
いけない。しかもこの楼蘭遺跡の近くには、水が出現したり消えたりするため
「さまよえる湖」と呼ばれる 湖、ロプノールがある。
今は枯れているけど、2004年に一度復活したらしい。
いつか楼蘭遺跡も行ってみたいわい。(風の旅行社でツアーもあるみたい)

遺跡観光が終わったのは18時くらい。それでも今日の観光はまだまだ続きます。
クチャ市内に戻って、クチャのモスクを見学、さらに民家で新彊の家庭料理
(といってもいつものラグ麺とポロだが)、ナン作り体験が待ってます。

一般的なウイグル人の台所。
完成したラグ麺。やっぱり家庭のラグ麺が一番美味しい
新彊ピラフ・ポロをよそうお母さん
美しい新彊ディナーテーブル
ここんちの赤ちゃん。女の子だけどきれいな髪が生えるようにと丸刈り
一般の家庭でごはん食べさせてもらうなんて、個人ではよほど
図々しくない限り難しいので、ツアーでよかったなーと。
でも次回の新彊旅では、ヨネスケの隣りの晩ご飯よろしくゲリラ的に
一般家庭を訪問してみたいものだ。
ここではナン作りも体験して、自分で作った焼きたて熱々のナンを
はち切れそうな腹にぶっこんでやりました。表面にまぶしたゴマとタマネギが
香ばしくておいしかった〜。

夜ご飯を食べたら、23:49発の寝台列車まで時間があるということで
前日漢族のバザールに連れてかれ不発に終わったクチャのバザールに
繰り出すことになりました。

最後のシシカバブを食べた店。
色んな種類のナンがいっぱい
羊の臓物煮を売るお母さん
前日に行ったバザールだと思っていたところはやっぱりバザールではなく
「クチャ全然おもしろくない!」と言い放ったままで終わらないで良かった。
羊など動物はいないけどクチャのバザールも面白かったです。

バザールを見物したら、前日宿泊したホテルに戻って
ロビーで荷物の整理をしたり、トイレを借りて顔を洗ったり、歯を磨いたり
各自寝台列車の旅に備えました。

クチャの列車駅は薄暗い中に、乗車人数に比べると明らかに少ないベンチが
あり、発車まであと1時間はあるというのにベンチ争奪戦の様相を呈してました。
ベンチに荷物を置いたり、3席使って横になって寝ているフトドキものがいて
けしからんと思っていたら、駅員が片っ端からものすごい口調と表情で
「荷物を降ろせ、ここで寝るな、さっさと片付けろ」と注意してくでは
ありませんか。しかも実行されるまで見届ける念の入れよう。
お陰で私達も座ることができ、予定の出発時間をちょっと遅れて
ウルムチ行きの寝台列車に乗車しました。

カシュガル発ウルムチ経由ハミ行き?
観光で大忙しだったけど、新彊の魅力いっぱいの楽しい1日でした。
これから17時間かけてウルムチへ。人生初の寝台列車。
トイレがかなり不安だけど、これも体験。
次回は、南彊鉄道・寝台列車での1日とウルムチ雑感をお届けします。

2012年10月14日日曜日

南新疆シルクロードの旅5日目:砂漠−クチャ

シルクロードの旅5日目の本日は、新砂漠公路を北に向かって
ひたすら走り続ける、私達にとってはバスで寝て、たまに青空トイレタイムに
起こされる移動だけ、ウメルさんにとっては地平線にまっすぐ一本道を
500km以上進まなくてはいけない過酷な行程でした。

砂漠に一本道のみ
砂漠で唯一育つという胡楊樹がぽつりぽつりと生えている
問答無用に砂漠が続く

この日は写真を見返しても、とにかくバスで移動しかしていないので
たいした話はありません。昼ごはんは砂漠公路の途中にあった
サービスエリアのようなところで大盤鶏(ダーバンジー)という新疆料理を
食べました。上海の新疆レストランで何度か食べたことがあるけど、私これ苦手。
とにかく量が多いくて、じゃがいもがもりもり入ってる上に、最後に麺かナンを
入れてしめるから、大盤鶏食べるとそれ以外全然食べられない。
腹がふくれるせいでビールも飲めないし。

後ろの紙コップと比べるとデカさが分かる。味は美味しいんだけどね。

昼食後も砂漠公路をぶっとばし進んで行くと、砂漠が終わりかけのところで
綿花畑が現れて人生ではじめて綿花がフモフモと成る様子を知りました。

綿花畑
クチャに到着したのは午後7時半。ウメルさんのお陰で予定より少し
早く着きました。今日宿泊するクチャ飯店はおそらく政府系のホテルで
日本だったらハコモノと糾弾されそうな無意味な植物園(おそらく砂漠の
オアシス的なものがテーマ)の中にある中華レストランで夕食となりました。


中国のレストランでは当たり前のように、まんじゅうと洗面器ごはんが
どどーんと最初に持って来られる。これでビール飲めと?というつっこみは
さておき、食事自体は普通においしい中華料理です。
まー、これを自分でお金を出して食べるかと言われたら間違いなくNoですが。

こんな具合で、適当に腹を膨らませた後は、クチャの街を散策しようと
バザールを目指しました。しかしタクシーに連れて行かれたのは漢族のバザール。
反日感情が大変なことになってる現在の中国の田舎で、漢族だらけのところに
放り込まれるや、そりゃ怖いっす。
柄の悪い妖怪豚まんじゅうみたいな男が瓶ビール片手に歩いてるんだから
怖いですよ、そりゃ。こんなとこ用事はねーってことで、再度タクシーを拾って
ウイグル人のバザールへ。次に連れてかれたところも、さっきよりは
ましだけど、これ本当にバザールって感じの場所で、怪しがりながらも
とりあえず見つけた店でシシカバブとビールを見繕い、早々に一杯。

香辛料だらけで肉の臭さをごまかしてるし、やけにぐにゃぐにゃした
食感でまずいなーと思ったら、やっぱり食あたりを起こして
この日の夜は1時間おきにトイレに行かなくてはいけない下痢になりました。
フーダオ夫も同じように下痢にみまわれたらしいのですが、妻さんの方は
なんともなかったようです。どうやら中国で生きて行くには
私のばい菌耐性が低いのでしょう。

私に下痢をもたらした問題のシシカバブ

さて実質観光最終日の6日目は、クチャ郊外の天山神秘峡谷、キジル千仏洞
スバシ古城遺跡、クチャ大寺、民家でナン作り体験と大忙しの1日をレポートします。

2012年10月13日土曜日

南新疆シルクロードの旅4日目:ヤルカンド−ホータン−砂漠

4日目の今日はタクラマカン砂漠縦断へ向け、新砂漠公路の街ホータンを
目指します。ちなみに旧砂漠公路はホータンからもう200kmほど
東へ向かったニヤという街から始まるそうです。
このニヤ周辺には遺跡がたくさんあるそうで、次回の南新疆の旅では
ニヤで遺跡を見て、旧砂漠公路で砂漠縦断をしようと思います。

ヤルカンドからホータンへの道中、最近開通したチベットのラサへと3,000kmの
道のりをつなぐ新疆の新とチベットの西蔵の蔵で新蔵道路がありました。
最近の中国はこれまで悪路で旅行が大変だった場所へ新しい道路が次々と
開通し、かなり旅がしやすくなっているそうです。
私達がヤルカンドからホータンへ向かうのに走った新しい道路も一昨年開通した
ばかりで、以前は砂利道の旧道が使われていたようです。

そんなこんなで舗装された道路をずんずん東に進み、ホータンを目指すわけですが
1時を過ぎたあたりで途中の町で昼食となりました。

店構えだけ見せても辿り着けないと思いますが、念のため
この旅第二位のシシカバブ。羊好きにはたまらない南新疆

昼食後2時間も走るとホータンに到着。ホータン到着後はバザール観光。
ホータンの印象は、とにかくウイグル人がほとんどで漢族はいないのでは?
と思うほど、ウイグル度が濃く、バザールもとてもにぎわっていて
新疆の街はこうでないと!と思うような街でした。



もうねバザールはとにかくカラフルで、道行くウイグル人の子供がかわいいのよ!
女の子はかわいい子供がそのままきれいな娘さんになり、男の子は子供の頃
かわいかったのに、どうしてみんなカモメ眉毛の濃いーおっさんになっちゃうの
とウイグル人の性差を若干不思議に思いながら、街歩きを楽しみました。
フォトジェニックな街なので、写真撮影に気を取られてフーダオ夫が
団体からはぐれて切羽詰まった表情で「ほんと焦った」と追い上げてくる
様子は面白かったです。バザール散策後はホータン名物・ホータン玉(ぎょく)の
工場を見学しました。きれいな玉石がたくさんあったけど、金がないので
特に買い物せず、超高級玉石を冷やかすのみで終わりました。
玉が終われば、ついにこの旅最大の山場タクラマカン砂漠へ突入!!


砂漠への道中、一家総出の畑仕事に遭遇。トウモロコシを粉砕して羊のエサを作ってるらしい

ホータンから砂漠公路を50kmほど北に進んだ地点で、本日私達が乗る
ラクダ達が待ちぼうけしているとの連絡を受け、大至急ラクダポイントへ。
ラクダ達は随分と待たされたようで、機嫌の悪さマックス。
ほとんどのラクダが私達を乗せるため座らされるのを拒否しており
それはえげつない声でグェーグェー叫んで、しまいにはラクダ使いの少年に
思いっきりゲロをぶっかけてました。
それでもなんとか一瞬だけ座るので、その隙にとにかく急いでラクダに乗り込む。
幸い私の乗ったラクダとその後ろのラクダ(後ろのラクダの重要性は後述)は
機嫌が悪くなく、ラクダで砂漠散策はとても楽しい時間でした。

青空をバックに凛々しいラクダ達。でも叫び声はえげつなく、ゲロは激くさ
我らがキャラバン隊。この青いリュックカバーが悪夢を引き起こす
「俺、らくだ。ゲロくさいよ。ニッ!」
このラクダ体験のホットトピックといえば、上の写真の中で
青いリュック(死語?)カバーをかけているフーダオ夫が後ろのラクダに
ものすごい勢いで吠えられ続けたあげく、ゲロをぶっかけられたことです。
後ろから見てた感じだと、ラクダはリュックカバーに興奮していたよう。
てか、ラクダって吠えるの?って感じでしたが、それはそれはすごい声で
叫んでおりました。一発芸よりさらに短い一瞬芸を得意とする私は40分間
叫び続けるラクダの声を聞いて、「吠えるラクダ」という今回一緒に
旅をした人とラクダ使いぐらいしか理解できない物まねを体得しました。
すぐ前で聞いていたフーダオ妻のお墨付きもいただいてます。


心なしか口の周りが黄色いのはゲロのせい
まーまーかわいい顔をしているラクダですが、吠える時の顔といったら。
口をばかーっと開いて、ヤニや茶渋がついたようなきったない歯をむき出しに
フーダオ夫に襲いかかってました。後日開催予定の写真交換会で
夫さんが撮影したおそらく世界初であろうラクダが吠える写真を入手次第公開します。
まじで悪魔みたいな顔してますから。

フーダオ夫にとっては恐怖の、私達にとっては1年先もこれを肴に
飲めるであろう爆笑のラクダ体験は小一時間ほどで終わり乗車(乗ラクダ?)
場所に戻ってくるとそこにはテントが張ってあり、砂漠の料理人と
おぼしき人が料理の準備を始めていました。
この旅、何から何まで旅行会社がセッティングしてくれており、
当の私達といったら自分が宿泊する小型テントを張るのみ。
それでも自分のための簡易テントすら張れない私達(フーダオ夫妻と私)は
ウメルさんに手伝ってもらい、なんとか今夜の寝床を確保しました。

テントに苦戦するフーダオ夫妻、ウメルさんは1分くらいでテント張った
砂漠の晩ご飯請け負い人達。ちょっと塩辛かったけど、BBQの味は最高でした。
砂漠のディナーテーブル。前方にはお父さんお母さんとルクプル夫妻の奥様
ちょっと塩辛いけど酒が進む中華料理を食べながら砂漠の宴会
(お父さん命名)スタート。酒がないと何かとうるさい日本人に慣れているようで
ガイドの馬さんはビール、ワイン、白酒までも用意してくれました。
新疆はぶどうの産地だというのに、作られるワインは人民達が大好きな
砂糖入りのまがいものばかりなので、私達も自分で上海からワインを
しこたま持ち込みました。(「楼蘭」という新疆ワインメーカーの
プレミアムワインは砂糖も入ってないので結構おいしかった)

きらきらの星と月の下、たき火のそばでサントリーのワイン事業部に
おつとめのフーダオ夫妻のお友達からいただいたおいしい
赤ワインを楽しみました。ビールで晩酌し、ワイン2本を開けて
自分で持ち込んだ日本酒を飲んで、さらに馬さんが持ってきてくれた白酒まで
飲んでしまった私は例によって、こともあろうに砂漠で初対面からわずか
4日の皆様の前でべろべろに酔っぱらい、最後は自分のテントに半ば無理矢理
押し込まれ、飲み会強制終了となったようです。
朝起きたら、パンツいっちょでふとんをかけており、テントの中には
上海から持ち込んだつまみのせんべいが散乱しておりました。

翌朝の朝食の席で、「昨日寝言言ってた」とか「酔って同じ事を何度も言ってた」
「声がでかいから砂漠でひびく」とか知り合い歴4日の皆様から指摘を受けました。
幸い隣り近所に別のツアー客のテントがなかったので、日本でやっているような
知らない人の飲み会に乱入といった失態は避ける事ができました。
朝食は砂漠の料理人達が作ってくれたキュウリのたたきや冷やしトマト
(砂漠に放置で自動的に冷やしに)たき火であぶったトーストなど
二日酔いに優しい朝食。しかし二日酔いのはずが、旅のテンションからか
早朝から異常な食欲で、トマト、キュウリはもとより、おかゆ、ゆで卵3個
持参したカップラーメンと、とにかく食いまくりました。

ちょっと5日目朝の話が入ってしまいましたが、5日目はさらに
砂漠をひた走り、実質最後の観光目的地クチャを目指します。