国慶節にシルクロードの旅をして以来、見事に三蔵法師にはまってます。
三蔵法師こと「玄奘」は、今から1400年ほど前に、中国の河南省で生まれ
子供のころから父の影響で仏教関係の本にはまり、なんと10才かそこらで
漢語に翻訳された経典の教えに限界を感じ、もんもんとしていたところ
父を亡くしたのをきっかけに、サンスクリット語で書かれた本場の経典を
学習するため、徒歩と馬でインドまで行っちゃったという、とんでもない坊さん。
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顔は普通のおっさんだね。 |
三蔵法師と言えば、西遊記の宮沢りえだったので、女のお坊さんかと
思ったら、おっさんだったのね。
玄奘さんの偉業を知るためにまず読んだのが、岩波新書の
隊員だった著者が、 玄奘さんが出身地洛陽付近を出発してインドに辿り着く
までを記した「大唐西域記」の記録に忠実に、玄奘さんの旅を解説している本。
この本は玄奘さん残した記録に脚色が一切ないので、玄奘さんの偉大さと、
旅の行程がすごく分かりやすく書かれている。
そして今読んでいるのが、玄奘さんの1200年後、大阪に生まれたお坊さん
河口慧海が玄奘さんと同じように、仏教の原典を求めて、当時外国人の
入国が厳しく禁止されていたチベットに、チベット人になりすまして入っちゃった
チベット旅行記なんて、どっかのブログみたいなタイトルだけど
中身はとても真似できる代物ではない。チベットに入国するため
インド国境の村でチベット語をマスターしながら、密入国の機会を
伺うこと2年、意を決して、とんでもない雪山を徒歩で越えついにチベットに。
さらーっと書いてしまったけど、玄奘さんも河口慧海も、何がすごいって
中国からパキスタン、インドからチベットへ7000m級の雪山を徒歩で越えてった
っていうんだから、もう超人としか言いようがない。
しかも玄奘さんに至っては、1400年前に用意できる程度の装備で冬の雪山に
挑んだっていうから、健脚ぶりがはんぱねー!
この玄奘さんが長安を出発して、西へ西へ原典を求めた旅が
まさしく先月わたしが行った新疆ウイグル自治区の旅。
カシュガル、クチャ、ホータン、 これ全部昔仏教王国が栄えていた都市。
玄奘さんも、これらの都市を訪れて、手厚く歓迎されたり、教えを説いたり
仏塔や伽藍などその土地土地の仏教建築を勉強したりしていった。
この旅行で、玄奘さんが訪れた都市の遺跡を見ていたなんて、
旅行の前に、シルクロードについてもっと勉強していくべきだった…。
ぐやし〜よぉ〜。
くやし過ぎるので、河口慧海のチベット旅行記を読破したら、この2人を
チベット、インドまで行かせた仏教の教えを勉強してみようと思う。
(そう思って買ったのが「仏教入門」 、頼れる岩波新書。しかもジュニアw)
んで、もっかいシルクロードの旅をしてやる。アフガニスタンは無理そうだけど
パキスタンくらいまで行ってやるー!
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玄奘さんが訪れた都市のひとつ、スバシ遺跡。このでっかい城跡で玄奘さんは接待をされていた |
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乾燥と強風でほとんど風化してしまい、土台しか残っていない |
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でも玄奘さんは確かにここに来た。この穴を通ったかも? |