先日仕事関係の人と雑談していたら、「死ぬ時は提案書を完成させて、
提案書を添付したメールの送信ボタンを押して、デスクで力尽きるのが
プランナーだ!」みたいなことを、もちろん冗談だけど言っていた。
その人は広告代理店のプランナーで、おかげで私もしこたま働かされてるわけで…。
その言葉を聞いたとき、私はどんな風に死にたいだろうとふと考えた。
私は今死ななきゃいけないとしたら、家族に囲まれて死にたいと思った。
お母さんの娘として、お父さんの娘として、妹の姉として死にたい。
実はどういう風に死にたいかは、どういう風に生きたいかと同じではないか。
私は、両親の娘として、妹の姉として、親友の友達として、職場の信頼できる
(仕事ができるとイコールではない)同僚として生きたい。
今までは、どうやって「自分らしく」生きていくかばかり考えていたけど、
「自分」って、周囲の人との関係によって作られるもので、じゃあ自分は何なのかと
考えると、それは私の場合、前述の両親の娘で、妹の姉で。。。ということになる。
今日そんなことをグルグルと考えていたら、人生の視点が完全に変わった!
これまでずっと自分で自分を定義しようとしていたけど、そんな事しなくていいんだ。
自分というのは、大切な人にとって自分がどういう存在かで定義されるんだ。
そう考えると、家族を持つことの大切さも分かる。
この世に生まれたからには、親がいるわけで、人は生まれながらにして
親にとって大切な子供という定義を手に入れ、学校で友達ができ、職場で信頼できる
上司や同僚に出会い、それぞれの場所で「自分」を得ていく。
そして、結婚すると大切な旦那さん(奥さん)にとっての大切な人という定義を手に入れ、
子供が生まれると、子供にとって大好きな親という定義を手に入れる。
家族ができるということは、より多くの定義、自分が存在する意味を
手に入れることを意味する。
けど家族を持つことが絶対というわけではないと思う。
家族以外にも、色んな人との関係の中で、自分が他人にとってどういう存在かを
大切にしていけばいいんだろう。そんな大それたものでなくても、
自分が好きだと思う人、大切だと思う人にとって、その人の支えになる存在でいたいと
思う気持ちとその気持ちを表すことが大切なんだろう。。。たぶん。
家族(親戚)がいっぱい♪
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