2013年5月8日水曜日

北京洗礼

先週の木曜に北京に来てから、明日で一週間が過ぎようとしてます。
出張で20回以上は来ている知ったつもりの北京だったけど、
上海から都落ち感を、ひしひしと感じてる初夏のこのごろ。
首都だけど、都市・民度の洗練され具合は、上海の数段下です。

日本料理、各国料理レストランのレベルが低いのは言わずもがな。
タクシーの運転手の態度が悪い、妖怪つば吐きじじぃがいっぱいいる。
あんなに嫌いだった上海に、「来月の3連休で遊びに行っちゃおうかしら?」と
思うほど、北京に辟易させられてます。

そして、今日決定的にムカつく出来事が。
偽札をつかまされました。しかも2枚も。

100元 (1600円)札は、先輩から借りたお金の中に入っていた。。。
50元札は、タクシーのおつりでつかまされた。



 上が本物、下が偽札。こうして見ると、かなり差があるけど、
偽札をつかまされる可能性があると、注意していなければ気付けない。
会社の先輩方に「偽札つかまされやしゃたーーー!!」と鼻息ムンムンで
伝えたら、冷静に「夜のタクシーとか、(偽札判別機を使わない)小さい店で
使うしかないね」 と言われました。

これ使っていいんでしょうか?
どこで使うか考えるのも面倒なので、毛沢東のおでこに穴あけて
しおりにでもしてやろうと思います。

ふぅーー。北京きらい。(お仕事は順調です。)

2013年5月1日水曜日

上海総括

いつからか、上海での仕事に全く熱意が感じられなくなっていた。
上海に来たばかりの頃の日記やブログを見直すと、その頃の私は、やる気に溢れていた。

中国のこと、中国人のことをもっと知りたいと思っていたし、
知らない事にどんどんチャレンジしたいと思っていたようだ。
中国人社員に積極的に話しかけて、一緒にお昼に出かけて、仕事以外に
色々な情報交換をしたりと、人と関わることに積極的だった。

それが今では、、、昼ご飯はひとりで出かけ読書をしながら、業務の指示はメールで、
仕事以外では社員とも上司とも特に話さず、とにかく自分の世界に閉じこもっている。

私生活でも、知らない人との飲み会には乗り気がせず、行ったとしても、
楽しもうという気もおきず(行ったら行ったで楽しいけど)、週末の映画鑑賞と
読書だけが至福の時間だった。もう、とにかくひとりで居たかった。

そして、人との交流を避けることを何かと理由をつけて肯定してきた。
「ひとりじゃなければ、こんなに読書をすることもなかった」とか
「今はひとりでいる時期なんだ。自分を見つめ直す時間なんだ」とか。
実際、上海に来て自分の短所、欠点はよーく見えた。これはよかったことだと捉えたい。
 でも人との交流を避けて生活するうちに、私は死んだようになっていた。
仕事にも生活にもやる気がなく、何に対しても否定的な見方しかできず、
アラを探しては、「ほらね、やっぱりね」と思っていた。

明日、わたしは北京に旅立ちます。
上海での2年間を総括すると、今はまだどんな意味があったのか分からない。
でもこの2年間が意味のあるものになるか、そうでないかは、北京での1年間に
かかっているような気がする。明日からの1年間を、上海の延長線で過ごすか、
自らcreativeに過ごす努力をするかによって、今後の人生が大きく変わる気がする。

こんな死体のように過ごした上海で出会った人々に、
「わたしは大きくなりました!」と北京から言えるようになっていたい。


北京に行ってきます!

2013年4月29日月曜日

さよなら小龍包

一ヶ月前、突然の辞令にて北京行きが決定。
上海に思い残すことはほとんどないのですが、小龍包だけはもっと
食べておきたいと思い、ずーっと食べたいと思っていた小龍包を
本日食べてまいりました。

会社の近所にありながら、一度も行ったことがなかった小龍包の有名店。
『佳家湯包(ジャージャータンバオ)』
有名店とは言うものの、歴史があるわけでもなく、高級レストランなわけでもなく
普通の上海人達が小龍包だけさらっと食べて、帰るというファーストフードスタイル。
でも、注文を受けてから蒸すので、注文から10-15分は待つ。

小龍包専門店なので、メニューは小龍包のみ。先日仕事帰りにふと
「上海生活も残りわずか。小龍包を食べておかなければ」と思い 、この店に出向き
蟹粉鮮肉小龍包(豚肉に蟹が少し入ってるちょっと贅沢タイプ) を頼んでみた。

皮が若干黄色いのは蟹みそのせいか?
さすが有名店だけあって、ちゃんとおいしい。
12個入りの小龍包を28元(350円くらい?)で、さらっと食べられるのは
さすが上海。来週には北京だけど、今さらちょっと見直したぜ。

この初・佳家湯包で、気になるメニューを発見。大体どの小龍包も20元前後なのに
12個で99元(1500円)という超高級小龍包があった。その名は「純蟹粉小龍包」。
純という文字と、鮮肉の単語がないことからも想像できるように、なんと
蟹100%の小龍包があったのです!!
そして上海生活残り3日の今日、この超贅沢小龍包を食べるためひとり小龍包してきた!

前回はiPhoneで撮影。今回はミラーレスを持ち込む気合いの入れよう。

見て見て!このでっぷりぶり。中身が100%蟹なので、半液体状のため
この堂々たる横広がりぶり。豚肉小龍包と違い、ひとつの蒸篭に6つ入ってきます。

この見事なたわみぶり。
肉の小龍包と比べると皮も厚めで、もっちりタイプ。

贅沢小龍包を前にニヤニヤ。ドスッピンでいただきます。

念願の蟹100%小龍包と一緒に自分撮り。どうしていいか分からずとりあえず笑っといた。
中国は自分撮りがメジャーな国なので、周囲の客もスルーです。
いざ、実食!中身が半液体状で蟹スープがたっぷりなので、最初に前歯で穴を開けて
スープを吸わないと、大切なスープがレンゲからどんどん流れでていきます。

小龍包に穴を開けてチューチュー蟹スープを吸い出す。
すると中には、蟹ミソやら蟹の身やらとにかく蟹純度100%!

きっと厨房で小龍包職人が、小さな蟹からミソや身を一生懸命ほじくってくれたんだ。
蟹のミソのまったりと濃厚な味が口いっぱいに広がって、本当に幸せの味…。
最初の6個を怒濤の勢いで食べ終えたら、ものすごい満足感&満腹感。
とっても、とっても美味しいけど、すごく贅沢だけど、ひとつひとつがものすごい
濃厚なので、正直ひとりで12個はきつい。
純蟹粉小龍包を食べる場合、最低2人で食べにいくことをおすすめします。

最後の1個で、皮が破れて蟹スープ漏れ事件発生。もちろんレンゲで救って食べたさ。

上海生活最後の小龍包にふさわしい、素晴らしい小龍包だった。
さよなら小龍包。
さよなら、わたしの上海生活。

『佳家湯包』:http://www.shanghainavi.com/food/333/  

2013年3月8日金曜日

ソフィアたん

ソフィアコッポラの映画って、ちょーつまんねー。
Virgin Suicideもマリーアントワネットも、今日見たSomewhereも。
どうしようもないくらい、当たり前の事を、おしゃれに見せて
ごまかしてる気がするんだが!

Lost in Translationは良かったんだけどね。

2013年3月6日水曜日

8月にこころの折れていたわたす

先週末、時間的にも精神的にも余裕があったので
半年前に購入して、読むのを忘れていた本を読んでみた。

  
この本を買おうと思った時、自分のこころが折れそうになっていた
というのもあるし、昔から精神的に追いつめられること・ひとに
関心があった。

アマゾンのレビューを読むと、精神的に追いつめられた時の
対処法を述べるのではなく、追いつめられた人に取材をして
こころが折れそうな時、人はどう対処するのかを綴った本であると。

啓発本やハウツー本より、ルポ、ドキュメンタリーの方が好きなので
取材をベースに書いているこの本は面白いのではないかと思って
手にとってみた。結果、自分が予想していた読後感とは全く違う
満足感があった。購入したのが大分前なので、どういう気持ちで買ったのか
あまり覚えていないけど、題名とアマゾンのレビューから想像した内容とは
かなり違っていた。

確かに、こころが折れそうな時、一般的に人はどう対処するのかが
書かれているところもあるけど、この本はどちらかというと作者の哲学書に
近いものだと思った。彼自身がずっと人生、世界に生きにくさを抱えていて
それは、自分の理想(哲学・世界観)と現実(自分の哲学と世界観を
受け入れないこの世の中)の乖離が、彼のこころを折っているものだと。
この、こころが折られることに対してどう対処していくか、折り合いを
つけていくか、著者は著者と同じように私達一般市民から見ると崇高な
思想・理想を持つ哲学者や文学者から介護疲れや仕事でこころが折れそうに
なっている普通の人々へ取材を続けて、この本を書いている。

本の前半は、取材対象が彼の好きな人に偏っていて、また私が予想していた
内容と違っていたこともあって、途中で読むのをやめようと思ったけど
(特に私の苦手な村上春樹に関する記述のとこでちょっと嫌になった)
もう半分以上読んでいたので、しかも喫茶店に入ってしまったのでそのまま
読み続けることにした。
結果として、この本の中に体系立てた何かがあるとか、何か真理に気付いた
ということはなかったけど、小さな発見はたくさんあったので、読了して
よかったと思った。

小さな発見① 宇宙の作り方
著者は自分の世界観(著者はこれを世界像と読んでいた)と乖離した
現実の世界で生きていくために、小さな宇宙の作り方を考える。
これは、著者が中学生のころに「なぜ自分は存在するのか」という問いを
突き詰めて行ったら、「宇宙があるから」というところに行き着いたので
宇宙を表現したい、という欲求からも来ているのだと思うけど。
この宇宙の作り方が秀逸。5位から順に発表していくんだけど、
これは中々おもしろい発想だなーと思う方法があって、読んでいて楽しくなった。
ただ著者も言っているように、宇宙の表現の仕方を夜更けに考えるのは
孤独だし自己満足的な作業だ。

小さな発見② 人間の強固な性癖
本の中に、池澤夏樹という小説家へのインタビューがあった。
この小説家も著者と同じく彼なりの世界像があって、その世界像と全く違う
方向に進んでいく今の世界に、どう折り合いをつけているのか著者が
インタビューをしている。そのインタビュー中で、池澤夏樹が、我々人間には
抜き去りがたい強固な性癖があると言っている。それは混沌とした事象の中に
何かストーリー性を見いだしたい、無意味なパターンの中に何か脈絡を見つけたい
という強烈な本能的な欲求だと。著者と池澤さんが持っていた、戦後の理想的な
世界像。でもこの世界に確立的な世界像なんてものはなくて、
世界はあまりにも広く混沌としている。でも人間は無意味、混沌に意味や理由、
物語を見いだしたい。これは人間の本能的欲求なのだと。
あくまで個人の考えだけど、散々理想の世界像にこだわってきた人が
ひとつの解決策として、「世界は混沌、意味は無い。でも意味を
見いだしたくなるのは人間の本能的欲求です。
だから私達は世界像とか持っちゃうんです。」と言うのは
私の中で何かひとつ答えが出た気がして、読んだ後、一番すっきりした。

小さな発見③ ジェネレーション
仕事で企画書を書く時、ポイントは3つあげろ、2つでも4つでもなく
3つだ、とか、言いたい事は3つにまとめて伝えろとか言われているので
小さな発見①、②が私的にこの本のハイライトだったけど、もうひとつ
加えるとしたら、その人が生きてきた時代がその人の考えの形成に
結構影響を与えるんだなと思ったこと。
著者は63才。戦後生まれ、学生運動経験、バブル崩壊を経て今に至る彼らと、
バブル崩壊後に生まれた私。
もちろんその間にも色んな世代がいる。世代の違う人というのは
仕事でしか出会う機会がないので、「いい人だな」「優しいな」
「すぐイライラする人だな」「気さくな人だな」くらいにしか思わないけど、
よーく話したり関わったりすると、実は年代によって考えに結構差が
あるんではないかと思った。実際にそれぞれの年代の人から、その年代に
共通する思想を感じ取ることがあるので、これは今後もっといろんな年代の人と
つき合って、掘り下げていきたいテーマだと思った。

アマゾンの注文履歴を見ると、この本を購入したのは去年の8月。
しかも一緒に買ってるのが、 西村賢太の「苦役列車」。
どんだけこころ折れそうになってたんだ、8月のわたし!