2016年1月4日月曜日

力士に対する距離感

巡業や後援会の催し物など、力士との距離が近いイベントに行くようになって、
大相撲ファンとして力士や国技に対するマナーや節度を考えるようになった。

というのも、最近デーモン閣下とやくみつる氏の対談をまとめた本、
『勝手に大相撲審議会』という本を読んで、相撲協会からも認められた
相撲ファンである二人が、最近のファンの応援スタイルについて、
苦々しく思っていることが書かれていたから。

二人が指摘するのは、四股名のコールとプラカード。
私が国技館で観戦していてもうるせーなーと思うのが、稀勢の里の地元後援会の
稀勢の里コール。リーダーのじーさんが立ち上がって、後援会のメンバーだけでなく、
周囲の関係ない人にまで、コールをするよう煽っている。
外国人観光客など、よく分かっていない人は盛り上がっていると思って、
一緒に手拍子をしてしまう。

私は稀勢の里の大ファンなので、余計にこの応援を見苦しく、聞き苦しく思ってしまう。
各界きっての硬派力士がこの類いの応援を喜んでいるのだろうか。
国技館で観戦する日に、あのオレンジの法被集団がいると、うわーと思う。
あのコールのせいで、相手力士がかわいそうになり、私が一番楽しみにしている
稀勢の里戦を集中して観ることができない。
応援するのはいいけど、一人ずつ四股名を叫んでくれ。
そして、関係ない人に手拍子を求めてくれるな。

あと、巡業や後援会のイベントに参加すると、
力士への距離感に節度がない人が若干目につく。
巡業で激しい申し合いや三番稽古の後、
引き上げていく力士にサインをもらおうとするファン。
当然「今はすみません」と断られる。
後援会のイベントで、横綱の方に平気で手をまわして注意される人。
「お相撲さん」は強くて優しい身近な存在って気持ちは分かるけど、横綱よ。
知らない人と写真撮るとき、いきなり肩に手回さないでしょ。
しかも横綱に。相撲の歴史を勉強すると相撲界が守ってきた、
横綱という地位、名誉の神聖さが分かるので、横綱に馴れ馴れしくするなんてことは
できないと思うんだけどな〜。

あと巡業でさらにいただけないと思うのが、ファンと力士のセルフィー。
写真を撮る人がいなくて、セルフィーになってしまうのは仕方のないことかもしれないけど、
力士が高校生のようなセルフィーを、ファンと撮って、
しかもそれをファンによってSNSにアップされている。
その写真を見たSNSのユーザーが、「いいなー」とか「○○優し〜、かわい〜」と
思って、Retweetしまくって、その画像がどんどん広がっていく。
これは本当に私的見解だけど、セルフィー画像って力士の品位を下げる気がする。
人によっては、ファンサービスのよい力士だと思う人もいるだろうし、
これだけスマホとSNSが普及した世界ではあたりまえの流れなのかもしれない。
でも、硬派な相撲界と力士が好きな私はやっぱりちょっと・・・と思ってしまう。

私だって、両国近辺に住んでいると大好きな力士や親方を見かけることが多い。
元大関・魁皇の浅香山親方を見かけた時、周りに誰も人がいなかったので、
握手だけしてもらって、ツーショット写真はお願いしなかった。
いくら大ファンで、ツーショットを撮って、SNSにアップしたくても、
小娘の私が浅香山親方にセルフィーに一緒に写ってもらうなんて、無礼すぎてお願いできない。
それは親方が成し遂げてきた偉業に対する尊敬があって、
ツーショット写真はおろか、セルフィーなんてお願いできる訳がない!から。

と長々と自分がまるで硬派であるようなことを散々言っておきながら、
私のfacebookは力士とのツーショット写真だらけです・・・。
力士と写真撮れると嬉しいよね・・・♪でも何かファンサービスを頼む時は、
相手に対する配慮と尊敬を持たなくては、といつも思っている。

どうしてもツーショットが撮りたければ、国技館のハリパネで。

2016年1月2日土曜日

巡業・南阿蘇場所

2015年の5月場所で初めて大相撲を見て以来、すっかり相撲にはまり、
相撲と名のつくもは全て見る!と鼻息荒く、8月には福島・南相馬で開催された
巡業・南相馬場所に行ってきた。
(相撲と名がつけば、現役時代を知らないのに、
豊真将の引退相撲のチケットも買ってしまうほど)

怪我人以外の幕内、十両、幕下以下の大勢の力士、ほぼオールスターを
間近で見て、しかも握手やツーショット写真までお願いできる本場所とは違った
巡業の楽しさにはまってしまい、12月にはまた巡業を見るために熊本に行ってきました。

巡業だけではもったいないので、別府→湯布院→阿蘇のコースで
旅行もついでにしてきました。
8月の南相馬場所の時も、岩手県の大船渡からレンタカーで南相馬まで
被災地を訪れる旅行をしながら、最後に南相馬の巡業を見る、というコースだったけど、
これが最高に楽しかったので、今回の巡業も大分で温泉を楽しんで、
最後に阿蘇で巡業を見て、フィニッシュするという行程に。

まず、1日目は別府。
別府で温泉入りまくり、豊後牛食べまくり、関サバ・関アジ食べまくり。
スナックで飲みまくり、やっぱり私は九州が一番好きだ!

別府市街にある別府タワーは、東京タワーと同じ建築家によって建てられたようで、
建立当時はなかなかの人気ぶりで、当時の横綱一行も別府タワーで土俵入りを
見せたよう。その時の写真が残っていた。

別府タワー。温泉街に馴染むデザインですごくいい感じ。

時の四横綱、右から千代の山、吉葉山、栃錦、鏡里
昔は何かと言えば、時の横綱が土俵入りをするほど、
日本に相撲人気が根付いていたんだなー。
別府から阿蘇に向かう途中の湯布院。ちょうど頂上に雪が。
ちょうど、別府から湯布院に向かう途中、12月5日から2016年初場所の
チケット販売が始まったため、湯布院のまだ開店していない喫茶店で
相撲ピアでリフレッシュ、リフレッシュしまくって、なんとか中日の枡席を確保!

そして、ついに南阿蘇場所!

南阿蘇場所は呼び出し・照矢さんが寄せ太鼓
巡業開場の8時には伊勢ヶ濱部屋の呼び出し・照矢さんが寄せ太鼓を打つ。
まるで国技館で本場所が始まるような太鼓が鳴ったら、稽古開始!

黒まわしと白まわしが入り乱れる巡業の稽古
 私は巡業で幕下の力士と十両+幕内のやる気のある力士が一同に
入り乱れる稽古の風景が大好き。
これだけの大人数でがんがん稽古しているところは巡業でしか見れないと思う。

十両の稽古で息も絶え絶えの旭大星と英乃海

朝赤龍との三番稽古で体がpump upされた貴ノ岩
今まで貴ノ岩に対する印象はあまりなかったけど、今回の巡業でものすごい
稽古を頑張っていたので、巡業を見て以来貴ノ岩ファンになりました。


かねてからのファンである富士東が十両力士稽古の後に、四股をゆっくりと
踏んでいたので、これはサインをもらうチャンスだ!と思って、富士東に接近。
大相撲ジャーナル11月号の部屋訪問コーナーが玉ノ井部屋だったので、
そこにサインもらいました!
富士東にサインを頼んだら、彼はまだその記事を読んでいなかったらしく、
「これ読んでもいいっすか?」って聞いてきて、それを読んでいる間、
近くにいた勢と御嶽海が近寄ってきて、なんと富士東と一緒に、
大相撲ジャーナルを読み出したのですー!!!
人気関取三人に囲まれ、天にも昇気分。
しかも握手会では、天鎧鵬と正代による熊本県サンドウィッチ。
握手会では正代とツーショットを撮ろうとしたら、
「せっかくだから真ん中に」と正代が促してくれて、
天鎧鵬と正代による熊本サンドウィッチに。

他の幕内力士が談笑をする中、ひたすら一人で準備運動に打ち込むきーちゃん
付き人のガードも固い中、最大限稀勢の里に近づきました!
稀勢の里はいつも通り、一人で準備運動に励む。
格下の力士より先に来て、土俵の下で十分準備運動をして、
幕内の稽古が始まると、いつの間にかいなくなっている稀勢の里。
孤高の大関、稀勢の里。こんな土俵態度や相撲に対する考え方が
みんなが稀勢の里を応援し続ける理由だと思う。
稀勢の里がどんなに大切な一番で負けたって、裏切られたと思わない。
稀勢の里にはそんな力が備わっている。
昔の相撲をリアルタイムで見たことがないけど、昔ながらのお相撲さんが
好きな私にとって、硬派な力士を体現する稀勢の里は、
この時代にいてくれるだけで、ありがとうって思う存在。

なぜか最後は稀勢の里の話で終わってしまったけど、
改めて稀勢の里の魅力にやられた巡業でした。

2015年8月31日月曜日

お相撲にはまる



去年の6月に日本に帰ってきてから、すっかり忘れ去っていた我がブログ。
今、スー女と呼ばれる相撲好きな女性のブームに乗ってか乗らずか、
私の中で、仏教、イスラム建築、中国の秘境の3大好きなものに
「相撲」が加わり、4大好きなものになりつつあります。

ある日突然思い立って当日券を勝って相撲を見に行ったのが
2015年の5月場所。国技館の一番上の席で、ビールとチューハイで
べろべろに酔っ払いながら、力士の着流し(着物)や化粧回しなど
独特の美しさに魅了されてしまい、今やすっかり相撲ファンに。

両国の近くに住んでいるということもあって、家の周りには相撲部屋が
たくさんあるし、相撲に関しては事欠かないので、
これから相撲について発見したことや思ったことを書き留めておこうと、
ブログをまた書き出します。

ということで、相撲好きが両国の近くに住むと、
どれだけ相撲に出くわすかをあらわすかのような先週一週間の
私の相撲遭遇率を紹介。

●日曜日:浅香山部屋の前を通りがかると元大関・魁皇を目撃!
●水曜日:近所のよく行く飲み屋さんで相撲協会理事も勤めた元関脇の親方と遭遇→おごってもらう
●金曜日:家に帰る途中のコンビニで取的さんに遭遇
●日曜日:浅草から両国に帰る途中、元小結・普天王の稲川親方とすれ違う
     同じ日曜日、両国から家に帰る途中、現役力士の栃ノ心とすれ違う

4/8、つまり積極的に相撲求めて出歩けば、2日に1回はなんらかしら、
相撲要素に遭遇できるのです!うーん、我ながらすばらしい住環境。
9月場所まで、あと2週間。両国界隈は盛り上がってますよぉー!!!

南相馬場所で撮った1枚

2014年6月27日金曜日

意外と中国が好きだった。

先週日本に帰ってきて、一週間半が経った。
今週の月曜からは日本の会社にも出勤して、
日本の生活やら仕事に慣れようとしてるけど、
うーん。慣れない。

生活しやすいことは確かだけど、なんかつまらない。
仕事もやりがいを感じないし、普段の生活もなんかおもしろくない。

中国にいた頃は、中国が恋しくなることなんてないと思ったけど、
今は中国に戻ってもいいかも、とすら考え始めている。

仕事も楽しかったし、個性的でアイデアフルで正直な
中国人ローカルスタッフ達のことは大好きだし、
生温い日本の会社にはいない意識の高い上司も恋しいし。

どうしたら日本の仕事が楽しくなるんだろう?

2014年4月15日火曜日

北茨城〜福島の旅 アクアマリンふくしま編

今回の旅行は、震災に関係があるところに行きたいと思っていたので、
北茨城を観光した翌日は「アクアマリンふくしま」という津波で被災した水族館に
行ってみることにした。

アクアマリンふくしまも、六角堂に負けないぐらい海のそばにあって、
津波の浸水により、地下にあった電源機能が失われ、多くの魚が死んで、
海獣達は他の水族館に移送しなければいけなかったそう。
(地下の電源喪失による事故で、原理は原発の事故と全く同じだと水族館の人が言っていた)

2013年3月に被災して、7月にはもう再開したといから驚き。
3年たっているから当たり前かもしれないけど、とてもきれいで、見応えのある水族館だった。
当初は復興予算が割り当てられる予定だったけど、復興予算を待っていたら再開に
何年かかるか分からない、また各方面から寄付の申し出があったことから、短期間で再開できたそう。
アクアマリンふくしまに寄付を申し出たのは、ヤマト運輸が運営する財団と
クウェート大使館で、彼らからの莫大な寄付により、復興予算を待つことなく、
短期間で再開することができたそう。
アクアマリンふくしまの館長が以前クウェートの研究機関で働いていたことがあってのことらしい。

クウェート大使館のサイトを調べてみたら、クウェートは震災以降今でも継続的に
チャリティーバザーや大使の被災地訪問という形で支援を続けている。
http://www.kuwait-embassy.or.jp/J_index.html 
海外の人ですら被災地のことを忘れずに支援をしているので、私も日頃から
何かの役に立てるよう考え続けていきたい。

<アクアマリンふくしまでよかったものランキング!>
第一位:トド

トド三兄弟(血はつながってない)が並ぶ
こんな顔して上に上がってくのよ、トドは

ゴマアザラシの隣りの水槽で、海獣くくりとして展示されていたトド。
メス2匹、オス1匹で、そのオスがまじ超巨大。
500キロは余裕で超えていそうな巨体で、しかも岩の上に登って野太い声で吠えまくり。
アクリル板1枚の向こうにトドがいて大迫力なので、1日中見ていても飽きなそう。

第二位:イワシの群れ

新鮮なイワシがいっぱい!

アクアマリンふくしまで一番大きな水槽(V字水槽と呼ばれていた)には、
イワシ、アジ、カツオ、マグロ、エイなどおいそうな魚が一緒に展示されていて、
巨大水槽の上方と下方の両方から見ることができる。
水族館の水槽は光の屈折を利用して、魚側から人間が見えないようにしているそうで、
(魚がびっくりして奥に引っ込まないように)
このイワシ達も人間が近づいても、フワフワと見物人の前を泳いでいた。
水槽の上部からイワシの群れ越しに、下の方にマグロが回遊している様子は、
既視感ゼロの新鮮な視界だった。

第三位:カミクラゲ


フォトショップなしでこの美しさ!
触手(クラゲの下からでてる紐みたいなやつ)が髪の毛のように細いので、
カミクラゲと呼ばれているこのクラゲ。水槽に放り込まれているだけなのに、
なぜこんなに神秘的なのか。山形にはクラゲ専門の水族館もあるらしいので、
是非行ってみたい。

番外編:レストランとお土産
水族館の中にあるレストランで食べた「カジキのメンチ定食」と魚の形をした
大判焼きのようなものがとてもおいしかった。


カジキのメンチ定食は写真撮り忘れたけど、しっとりしててタルタルソースと
よく合って、一緒についてきたくらむチャウダーも めっちゃうまかった。

お土産屋では、サンマが泳いでいる姿を年中みることができる世界で唯一の
水族館を名乗るアクアマリンふくしまらしく、サンマのバクプリが入った
オリジナルTシャツを買って帰りました。

いやー、アクアマリンふくしま、楽しかったわ。

2014年4月11日金曜日

北茨城〜福島の旅 海の幸編

岡倉天心の六角堂を見た後、小腹が減ったので、近くにあった「船頭料理 天心丸
という小料理屋(定食屋?)で昼ごはんにすることに。
後でネットで調べて知ったんだけど、地元ではデカ盛りのお店として有名らしい。
知らずに頼んだ刺身定食は、刺身1枚がiPhone並みのでかさ。

刺身だけでみるとそんなに大きく見えないけど
iPhoneと比べると刺身としては巨大(変顔中なのでモザイク)

タイ、マグロ、カツオ、サーモン、イカ、ブリ、エビ、生白魚、生シラスの合計9種類の
刺身がそれぞれ2枚。鮮度もいいし、おいしいんだけど、それぞれを1枚食べた後は、
気持ち悪くなってしまい、刺身を見るのも嫌になるほどに。。。
刺身定食だけでなく、煮魚や焼き魚定食もデカ盛りらしいので、よほどの大食いでない限り、
2人で一人前を食べるのが無難。

五浦海岸で六角堂を見て、天心五浦記念美術館を見た後、宿泊券が当たった例の民宿に向かった。
やまに郷作」という民宿で、平潟港がある海岸まで歩いて数分。
海の幸やアンコウ料理を食べさせてくれ、しかも天然温泉まで出るという最高の宿だった。

温泉は塩化物泉という塩を多く含んだ泉質なので、湯冷めしにくいらしい。
てか、ここの温泉すごくよかった!
こじんまりしたヒノキ枠の枕木で作られたお風呂で、お湯もしっとりしていて、
今まで行った温泉の中でも3本指に入るぐらいよかった。
こんな温泉に毎日入れたら、体の冷えなんて無縁で痩せやすい体質になるだろうに。

風呂を浴びたあとは、楽しみにしていたアンコウ料理!

アンコウの湯通ししたやつ
なんか色々な部位が入ってて、出汁が濃厚なうま鍋

初めてアンコウを食べたけど、中国でよく食べているカエルにかなり近い。
ちなみにカエルはむっちりした白身で、ぱさつきがなく、しっとりしていて、とてもおいしい。
けど、カエルは肉が少なくて、小骨も多いので、アンコウの方が断然食べやすい。

 最高の温泉とアンコウ料理づくしで、1泊10,000円前後だからとっても安いと思う。
原発事故の漁禁止が解除されたら、日中は釣りをして、宿に戻って温泉入って、
夜はアンコウ料理で宴会とか、親しい友達や親族でやったらかなり楽しそう。

というわけで、日本に帰任したら、北茨城に友達と遊びに行く!という計画ができました。

2014年4月10日木曜日

北茨城〜福島の旅 海の民編

母親がとあるキャンペーンに応募して、北茨城の民宿の宿泊券が当たったらしい。
ちょうど私も日本に一時帰国していたので、2人で北茨城に行ってみることにした。

調べたのはカーナビに入力するための旅館の住所だけで、あとは行き当たりばったり
適当に行こうということで、満開の桜が咲く隅田川沿いの首都高と、うって変わって
周りに何も無い常磐道をぶっとばすこと3時間。北茨城市に到着。

■人口:約44,000人
■有名なもの・人:あんこう、海の幸、岡倉天心、野口雨情(シャボン玉で知られる童謡詩人)

常磐道を降りて、最初に向かったのが五浦(いづら)海岸。
私自身はこの海岸を知らなかったけど、母親が震災後のニュースで五浦海岸の六角堂なる
建物が津波で全壊・流失したことを知っており、その六角堂が何なのか
見に行こうということに。

五浦海岸の六角堂は、日本美術のオピニオンリーダー&思想家であった岡倉天心が
建てたもので、詳しく説明すると以下。
岡倉天心が日本美術発展のために作った美術学校で起きたクーデターのため、
校長の座を追われた後、第二の人生の地として選んだのが五浦海岸。
そこに自宅やクーデターで一緒に退学した横山大観ら弟子達のためのアトリエ兼住宅を建てた。
六角堂はその一連の建物の一部で、敷地の中で最も海に面した景観のよい場所に
建てられた岡倉天心のための思想基地。

本当に海っぱたにある六角堂
六角堂からの景色
六角堂からの景色

岡倉天心と言えば、なんでも鑑定団でしか聞いたことがなかったけど、
六角堂に併設されている博物館を訪ねて、私が好きな感じの文化人であることが分かった。
彼は、自分で作った美術学校を追われて以降、日本美術や日本の思想をひも解くことや
海外に紹介することに尽力し、ボストン美術館の東洋美術部長を務めたり、
アジア文化研究のために中国やインドに行ったり、精力的に活動する一方、
五浦海岸の自宅にいる時は、毎日お抱えの船頭と一緒に釣りを楽しんでいたそう。

岡倉天心の博物館でとても感動したのが、彼がインド人詩人への手紙の中に残した一節。
『私の船頭は年をとった海の民で、全生涯を海の恵みと心通わせて生きる全ての
漁師同様、水の種族の流儀で育てられた一個の哲人です。
生まれながらの詩人です。なぜなら、彼は海の神秘を危険をもひっくるめて
海を読むことを知っているからです。私達は親友で、私は彼にインドの話をしてやります。
お会いになれば、たぶん彼を好きになるでしょう。』

岡倉天心が惚れ込んだ五浦海岸の環境は素晴らしく、私自身もこんな所で毎日釣りに
出られる生活がしたいと、心の底からうらやましくなった。
北茨城の住人は、この海を愛して、この海と一緒に暮らし、その暮らしが何百年も
前から続いてきたんだろう。それが、岡倉天心の船頭のような「海の民」で、
こうした人達は北茨城だけでなく、震災で被害を受けた岩手県、宮城県、福島県に
沢山いるんだろう。

今北茨城では原発事故の影響で、近郊の海での漁が禁止されている。
震災以前、釣り客で賑わった海沿いの旅館、民宿は客足が相当減ったとのこと。
「海の民」が地元の海で自分の生業ができないことが、どれほどつらいか。
それは単に収入だけでなく、彼らの生きる意味や喜びを奪ってしまったのではないか。
都会の人間が湯水のように電気を使う便利なライフスタイルを享受してきた責任を
福島の人、茨城の人だけに背負わせてしまったのではないかと、原発の代償について
改めて考えさせられた。

北茨城だけでなく、震災で被害を受けた東北地方で、海の民達が1日も早く
ストレスなくライフワークである漁業に励むことができるようになってほしいと
心の底から願いました。

天心記念五浦美術館で食べたケーキ

2014年3月14日金曜日

中国の正しい年越し

中国で春節と呼ばれる旧暦の正月は、大体いつも2月の頭から約一週間ほどの休暇。
いつもは日本に帰っているんだけど、今年の春節は連休初日のチケットが取れなかったので、
会社が休みになってから、日本かえるまでの数日間どうしよーと思っていたら、
仲の良い中国人社員・ワンジュオ君から「それでは中国流の年越しをうちで体験しよう!」と、
大晦日(今年は1月31日)の夜ごはんに誘ってもらった。

特に中国流の年越しに対して予備知識もなく、フラフラと言われるままに
ワンジュオ宅に行ったんだけど、これがめーーーっちゃ楽しかった!

年越しディナーのメニュー。ざっと15品。

ワンジュオのおうちに行くと、お客さんが来るとのことで
お父さんがすでに年越しディナー用のごはんを作っていた。
ピーマンの下には、作るメニューが書かれているメモ。お父ちゃん、超やさしい。
中国人の客人をもてなすパワーはものすごくて、社員の家に行くといつも
これでもかというほどのご馳走を食べさせてくれ、客人は片付けを手伝う素振りを
見せただけで怒られるほど。

お父さんの料理が終わるまで、中国の年越し準備を手伝うことに。
といっても、中国の家ならどこでも玄関に張ってある「福」という文字を
逆さにした縁起物のポスターを張り替えるだけ。

張り替え作業中。派手だな〜
今年のポスターを手に決め顔のワンジュオ

同じものを張り続けてると思いきや、毎年張り替えなくてはいけないみたい。
ちなみに中国には、年男・女は赤い物を身につけるという習慣があり、
年男のワンジュオは、赤いパーカーに赤いブレスレット、赤いパンツまで身につけていた。

ポスター張り替えたり、色々としていたら、お父さんの料理が終わり、
ついに年越し宴会スタート!!

品数が多すぎて秘技「重ね置き」炸裂中
重慶出身のお母さんのために北京人のお父さんが覚えたという重慶の辛い汁ビーフン
洗面器汁ビーフンを笑顔で取り分けるお父さん

料理は全部とっても美味しくて、特にこの洗面器汁ビーフンはお店では
味わえないまさに家庭の味。今度このビーフンを習う予定。
16時から始まった宴会は、とにかく品数がすごいから食って食って食いまくり。
18時過ぎには、ワンジュオの従姉妹のお姉さんが彼氏(台湾人と日本人のハーフ)が
も加わって、大変にぎやかな宴会に。

香港大手TV局の鳳凰TVのお天気お姉さんをしている超美人の従姉妹

 もう食えねーってぐらい腹がパンパンになったら、中国の紅白と言われている
『春節晩会』という番組を12時までみんなで仲良く鑑賞します。

晩会の音楽に対していきなり指揮をしだす父ちゃんw

そして12時をまわったら、一家総出で花火&爆竹をしに、
マンションの広場へと向かうのです。

外でたらこんなん。花火と爆竹で内戦みたい。
爆竹の大凶音から逃げ惑う私
最後はみんなで手持ち花火

この花火と爆竹、すぐ隣りにガソリンが入った車が大量に停めてあるのに、
マンション中の住民が、自分勝手にどんどんばんばんやりまくってて超危険。
これでも大気汚染とか景気とかで、昔より大分大人しくなったらしい。

年越しは水餃子。これも父ちゃん手作り。

怒濤の爆竹から帰ってくると、みんなでゆっくり水餃子。
日本の年越しそばにあたるものは、中国では水餃子らしく、みんなで
つるつるとおいしくいただきました。

つまり中国式の年越しは総合すると
■とにかくご馳走を食いまくる
■12時過ぎたら爆竹・花火をあげまくる
■年越しフードは水餃子
ということでした。

中国式の年越しを体験して、これでさらに心置きなく日本に帰れる。


2014年3月13日木曜日

中国卒業旅行

上海で仲良くしてもらっていた10才年上の親友改め上海の母改め料理の鉄人から
彼女もまた5月には晴れて上海卒業→日本在住になる知らせを受けた。

上海の中心部にあって交通の便がいいのに、周りが静かな超高級マンション!
なのにシャワーのお湯が15分しかでない、なんだかあたしの北京の家より寒い、
超高級だけど、ちょっと残念な上海時代に何度もお邪魔したあの家で、
お互いの中国卒業を祝うパーティーをするため(ただ上海の母の料理が食べたかっただけ)
実は東京⇔広島間もの距離がある上海まではるばる北京から行ってきました。

■1日目
上海に11時くらい到着した1日目の昼は郊外に遠出して小龍包を食べる計画を
あっさり取りやめて、近所のインドカレー屋に。
その後、日本に帰ったら中国の思い出として唯一恋しくなるであろう
ドラム缶焼き芋売りを発見。再利用されたドラム缶で焼かれたサツマイモなんだけど、
ドラム缶に何が入っていたか分からないということで、避ける人も多いらしいけど、
とにかくサツマイモが日本の3倍くらいホクホクねっとりで甘いので
母も私も一目散に焼き芋売りのおっちゃんに近づいていった。

インドカレーと焼き芋で腹がパンパンになったはずなのに、
18時を過ぎると不思議とお腹がすくもので、夜はさっそく目的である母の手料理を
いただきましたー!!!

この日の前菜

このお宅ではNARUMIのヴィンテージのお皿が前菜に使われるのが恒例なんだけど、
私はこのお皿を見ただけで、よだれがでるパブロフの犬ならぬナルミの犬状態。

<今日の前菜:ジャガイモとアボカドのあったか前菜※私が勝手に命名>
①ジャガイモは事前にレンジでチンして柔らかくしておく。
②フライパンにオリーブオイルをたっぷり目にひいて、ジャガイモと細かく
 切ったアボカドを炒める。
③塩・コショウをして、醤油をまわしかける。

これが超おいしかったの!アボカドは炒めるとネトネトになって、
じゃがいもに絡み付いて、魔法の調味料のようになった。
この日は博多のもつ鍋有名店「おおいし」の上海支店からお取り寄せした
もつ鍋がメインだったけど、写真撮り忘れた…。

ビールとウイスキーで適度に酔っぱらい、もつ鍋をやっつけた後は、
なぜか母が集めているフチ子さんの撮影会に。

プライベートフチ子も混ざる
仕事せずに遊ぶOLフチ子たち
わさわさいるフチ子

一眼レフで撮るフチ子たち…。超フォトジェニック!
これが上海卒業旅行1日目でした。

■2日目
2日目はつい最近まで北京の会社で一緒に働いていた中国人社員の女子と
その彼氏とお昼ごはんを一緒に食べてきた。
北京のマクドナルドで奇跡のナンパによりイケメン台湾人とつき合う事になり、
上海に転勤した彼と結婚を前提にした同棲をするため、上海に引っ越していった
若干22才の女子。
まー予想通りあまり美味しくない中華だったので、あんまりお腹を膨らまさないよう
少しだけ食べて、楽しいおしゃべりだけに集中。

そして、夜はこの卒業旅行最大のクライマックス(あたし的に)!
ごちそうでワイン飲みまくり!!

お酒も料理も全部母が用意してくれたので、私は食べるだけ、飲むだけで
本当に申し訳なかったけど、ここの家のごちそうとワインにかなうものはありません!
今日のメインは、最近母が開眼したという赤身の牛肉。

今日の主役ニュージーランドヒレ肉をちら見せ
でました。NARUMIの前菜 
まずは泡〜♪ソムリエのような仕草でワインを注ぐ旦那殿
キターー!!!!ヒレ肉と赤ワインーーー!!!

<今日の前菜:じゃがいものブルーチーズ和え>
①ジャガイモの皮を剥いて柔らかくなるまでチンする。
②ジャガイモが熱いうちに、ブルーチーズをぶっこんで和える。
③アーモンド等家にあるナッツ類を砕いてこれもぶっこむ。

このジャガイモとブルーチーズのほくほくねっとりを泡でさっぱりさせてもよし、
赤で濃厚×濃厚を楽しんでもよし。
ちにみにこの日のヒレ肉は頭の中で興奮物質が出ているのが自分でも分かるほど
ここ最近感じていなかった食べ物による興奮だった。
食べ始めたばかりだと言うのに、「おいしいと思う幸せ」が「このおいしい物体が
どんどん小さくなってしまう悲しさ」に負けてしまうほどのおいしさ。
分かりづらいか…。

しかもまた飲ませてもらった赤ワインがうめーっんだ!
飲んだ瞬間に母と目を合わせて「まろやか!」と言ってしまうほど
うんめー赤ワインとヒレ肉のステーキで、卒業旅行をしめくくるにふさわしい
最後の晩餐だった。

私も赤身に目覚めました!
日本帰ったらデパートで赤身買って、家で焼きます!!
これで心置きなく日本に帰れます!

2014年1月24日金曜日

問題は…

今週日曜は、旧正月連休の振替出勤。
駐在員の間で悪名高い中国の「祝日振替出勤制度」

おかげで、今週のお休みは土曜だけ。

土曜にはやらなくてはいけないことがいっぱいなので、
朝食兼昼食のサタデーブランチとしてガレットを作るのか、


昼食兼夕食として、おでんを作るのか、


それが問題だ。

2014年1月21日火曜日

中国を振り返ると

遅くとも3月中には日本に永久帰国できると言われていたのに、
フタを開けてみれば、やっぱり、色々な事情が発生して、4月の中旬まで
北京にいなくてはならず、その知らせを聞いた日は、あまりのショックに
おやつに買ったガルボ(特大の箱)を、ぼーぜんとしながら完食してしまった。

それでも、日本の会社での所属先も決まりそうだし、親が東京から引っ越す前に
引っ越し準備等で一時帰国させてくれるなど、会社側も譲歩してくれたので、
3月中に帰ることは諦めて、ダライラマの境地で残りの中国生活を過ごします。

まだ3ヶ月は北京にいるから、振り返るには早いけど、
今は中国に来て、本当に本当によかったと心から思える。

上海の2年間は正直、本当にきつかった。
色々な状況や事情が重なり合って、自分で解決できる事とできない事の違いが
分からなくなっており、どうしよもないことで自分を責めたり、
自分でも解決できるのに人のせいにしたり、今振り返ると暗黒の2年だった。
でも北京に転勤になって、幸運にも恵まれたクライアント&社内環境で
仕事ができるようになってからは、冷静に上海での生活を振り返ることが
できるようになった。

上海では精神的に追いつめられて、挫折だらけの毎日の中でも仕事面では、
一生懸命努力をしていたつもりだし、どうにもならない状況でも何かできないかと
自分に過度なプレッシャーをかけていた。しかもプレッシャーのかけどころが
全然見当違いで、今思い出すと自分のことながら本当に笑ってしまう。
でもそうやって、腐らずに、クライアントのためにと思って諦めなかったから、
今恵まれた環境で、自分の仕事をこなし、一緒に働く人から信頼してもらえてるんだと思う。

辛い経験が、挫折が、今までは点としてだけ存在していて、
それは自分の人生の中でもただの辛い思い出としてだけ記録されていたものが、
その複数の点が線でつながって、今の自分に至る。
Steve JobsがStanford大学でやった伝説のスピーチで言っていた、
「点と点をつないで線にする」、この作業が人生の重要な構成要素なんだろうなー。

もう一度、あの暗黒の2年間を繰り返すのは、まじで勘弁してほしいけど、
それでも3年前の3月、もう一度中国に行くかと聞かれたら、やっぱり行きたい。
そして、私は中国という国の習慣や政治や文化がやっぱり好きになれないけど、
今まで会った中国人には感謝したい。
特に、こんなわがままで横暴な私につき合って、一緒に仕事をしてくれた
上海、北京の同僚達には。
みんな私にとって、とっても大切な同僚です!!ありがとう!

2013年12月27日金曜日

北京式ダイエット

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中国に住まわせてもらっている身としてこれ以上中国の悪口を言うのは
気が引けるけど、今年最後の悪口としてこれだけ言わせてくれー!

北京のタクシーと地下鉄、く・さ・す・ぎ!!
どのくらい臭いかというと、口呼吸していても臭いがじわじわくる程のくささ。
北京オリンピック前に悪臭タクシーに対して新規制ができるほど話題になったらしい。

「香港から来た政務官が苦言」とか笑っちゃうけど、公の場で苦言を言いたくなるのも納得の臭さ。
具体的にどんな臭いかというと、まさしくニンニク臭+タバコ臭+体臭10人分くらいの匂いで、
冬のタクシーは窓を閉め切っているから、筆舌し難い刺激臭。

タクシーだけなら、乗らずになんとかなるけど、冬は地下鉄も同じくらい臭い。
これは私の勝手な推測だけど、冬になるとみんな入浴頻度が減るのと、
北京冬の風物詩「火鍋」をみんな食べまくるせいだと思う。
この火鍋は、辛い鍋汁の中にニンニクが1020個くらい入っていて、
中身は羊肉を薄くスライスしたものと野菜いろいろ。
このニンニク+羊肉が体を温めるらしく、北京人は毎日のように火鍋を食べている。

というわけで、11月の中旬くらいからタクシーに乗るのも、地下鉄に乗るのも
耐えられなくなり、仕方なくどこに行くにも徒歩移動していたらだいぶやせました。
2008年に規制されたはずの悪臭タクシーは今も健在です。