2014年4月15日火曜日

北茨城〜福島の旅 アクアマリンふくしま編

今回の旅行は、震災に関係があるところに行きたいと思っていたので、
北茨城を観光した翌日は「アクアマリンふくしま」という津波で被災した水族館に
行ってみることにした。

アクアマリンふくしまも、六角堂に負けないぐらい海のそばにあって、
津波の浸水により、地下にあった電源機能が失われ、多くの魚が死んで、
海獣達は他の水族館に移送しなければいけなかったそう。
(地下の電源喪失による事故で、原理は原発の事故と全く同じだと水族館の人が言っていた)

2013年3月に被災して、7月にはもう再開したといから驚き。
3年たっているから当たり前かもしれないけど、とてもきれいで、見応えのある水族館だった。
当初は復興予算が割り当てられる予定だったけど、復興予算を待っていたら再開に
何年かかるか分からない、また各方面から寄付の申し出があったことから、短期間で再開できたそう。
アクアマリンふくしまに寄付を申し出たのは、ヤマト運輸が運営する財団と
クウェート大使館で、彼らからの莫大な寄付により、復興予算を待つことなく、
短期間で再開することができたそう。
アクアマリンふくしまの館長が以前クウェートの研究機関で働いていたことがあってのことらしい。

クウェート大使館のサイトを調べてみたら、クウェートは震災以降今でも継続的に
チャリティーバザーや大使の被災地訪問という形で支援を続けている。
http://www.kuwait-embassy.or.jp/J_index.html 
海外の人ですら被災地のことを忘れずに支援をしているので、私も日頃から
何かの役に立てるよう考え続けていきたい。

<アクアマリンふくしまでよかったものランキング!>
第一位:トド

トド三兄弟(血はつながってない)が並ぶ
こんな顔して上に上がってくのよ、トドは

ゴマアザラシの隣りの水槽で、海獣くくりとして展示されていたトド。
メス2匹、オス1匹で、そのオスがまじ超巨大。
500キロは余裕で超えていそうな巨体で、しかも岩の上に登って野太い声で吠えまくり。
アクリル板1枚の向こうにトドがいて大迫力なので、1日中見ていても飽きなそう。

第二位:イワシの群れ

新鮮なイワシがいっぱい!

アクアマリンふくしまで一番大きな水槽(V字水槽と呼ばれていた)には、
イワシ、アジ、カツオ、マグロ、エイなどおいそうな魚が一緒に展示されていて、
巨大水槽の上方と下方の両方から見ることができる。
水族館の水槽は光の屈折を利用して、魚側から人間が見えないようにしているそうで、
(魚がびっくりして奥に引っ込まないように)
このイワシ達も人間が近づいても、フワフワと見物人の前を泳いでいた。
水槽の上部からイワシの群れ越しに、下の方にマグロが回遊している様子は、
既視感ゼロの新鮮な視界だった。

第三位:カミクラゲ


フォトショップなしでこの美しさ!
触手(クラゲの下からでてる紐みたいなやつ)が髪の毛のように細いので、
カミクラゲと呼ばれているこのクラゲ。水槽に放り込まれているだけなのに、
なぜこんなに神秘的なのか。山形にはクラゲ専門の水族館もあるらしいので、
是非行ってみたい。

番外編:レストランとお土産
水族館の中にあるレストランで食べた「カジキのメンチ定食」と魚の形をした
大判焼きのようなものがとてもおいしかった。


カジキのメンチ定食は写真撮り忘れたけど、しっとりしててタルタルソースと
よく合って、一緒についてきたくらむチャウダーも めっちゃうまかった。

お土産屋では、サンマが泳いでいる姿を年中みることができる世界で唯一の
水族館を名乗るアクアマリンふくしまらしく、サンマのバクプリが入った
オリジナルTシャツを買って帰りました。

いやー、アクアマリンふくしま、楽しかったわ。

2014年4月11日金曜日

北茨城〜福島の旅 海の幸編

岡倉天心の六角堂を見た後、小腹が減ったので、近くにあった「船頭料理 天心丸
という小料理屋(定食屋?)で昼ごはんにすることに。
後でネットで調べて知ったんだけど、地元ではデカ盛りのお店として有名らしい。
知らずに頼んだ刺身定食は、刺身1枚がiPhone並みのでかさ。

刺身だけでみるとそんなに大きく見えないけど
iPhoneと比べると刺身としては巨大(変顔中なのでモザイク)

タイ、マグロ、カツオ、サーモン、イカ、ブリ、エビ、生白魚、生シラスの合計9種類の
刺身がそれぞれ2枚。鮮度もいいし、おいしいんだけど、それぞれを1枚食べた後は、
気持ち悪くなってしまい、刺身を見るのも嫌になるほどに。。。
刺身定食だけでなく、煮魚や焼き魚定食もデカ盛りらしいので、よほどの大食いでない限り、
2人で一人前を食べるのが無難。

五浦海岸で六角堂を見て、天心五浦記念美術館を見た後、宿泊券が当たった例の民宿に向かった。
やまに郷作」という民宿で、平潟港がある海岸まで歩いて数分。
海の幸やアンコウ料理を食べさせてくれ、しかも天然温泉まで出るという最高の宿だった。

温泉は塩化物泉という塩を多く含んだ泉質なので、湯冷めしにくいらしい。
てか、ここの温泉すごくよかった!
こじんまりしたヒノキ枠の枕木で作られたお風呂で、お湯もしっとりしていて、
今まで行った温泉の中でも3本指に入るぐらいよかった。
こんな温泉に毎日入れたら、体の冷えなんて無縁で痩せやすい体質になるだろうに。

風呂を浴びたあとは、楽しみにしていたアンコウ料理!

アンコウの湯通ししたやつ
なんか色々な部位が入ってて、出汁が濃厚なうま鍋

初めてアンコウを食べたけど、中国でよく食べているカエルにかなり近い。
ちなみにカエルはむっちりした白身で、ぱさつきがなく、しっとりしていて、とてもおいしい。
けど、カエルは肉が少なくて、小骨も多いので、アンコウの方が断然食べやすい。

 最高の温泉とアンコウ料理づくしで、1泊10,000円前後だからとっても安いと思う。
原発事故の漁禁止が解除されたら、日中は釣りをして、宿に戻って温泉入って、
夜はアンコウ料理で宴会とか、親しい友達や親族でやったらかなり楽しそう。

というわけで、日本に帰任したら、北茨城に友達と遊びに行く!という計画ができました。

2014年4月10日木曜日

北茨城〜福島の旅 海の民編

母親がとあるキャンペーンに応募して、北茨城の民宿の宿泊券が当たったらしい。
ちょうど私も日本に一時帰国していたので、2人で北茨城に行ってみることにした。

調べたのはカーナビに入力するための旅館の住所だけで、あとは行き当たりばったり
適当に行こうということで、満開の桜が咲く隅田川沿いの首都高と、うって変わって
周りに何も無い常磐道をぶっとばすこと3時間。北茨城市に到着。

■人口:約44,000人
■有名なもの・人:あんこう、海の幸、岡倉天心、野口雨情(シャボン玉で知られる童謡詩人)

常磐道を降りて、最初に向かったのが五浦(いづら)海岸。
私自身はこの海岸を知らなかったけど、母親が震災後のニュースで五浦海岸の六角堂なる
建物が津波で全壊・流失したことを知っており、その六角堂が何なのか
見に行こうということに。

五浦海岸の六角堂は、日本美術のオピニオンリーダー&思想家であった岡倉天心が
建てたもので、詳しく説明すると以下。
岡倉天心が日本美術発展のために作った美術学校で起きたクーデターのため、
校長の座を追われた後、第二の人生の地として選んだのが五浦海岸。
そこに自宅やクーデターで一緒に退学した横山大観ら弟子達のためのアトリエ兼住宅を建てた。
六角堂はその一連の建物の一部で、敷地の中で最も海に面した景観のよい場所に
建てられた岡倉天心のための思想基地。

本当に海っぱたにある六角堂
六角堂からの景色
六角堂からの景色

岡倉天心と言えば、なんでも鑑定団でしか聞いたことがなかったけど、
六角堂に併設されている博物館を訪ねて、私が好きな感じの文化人であることが分かった。
彼は、自分で作った美術学校を追われて以降、日本美術や日本の思想をひも解くことや
海外に紹介することに尽力し、ボストン美術館の東洋美術部長を務めたり、
アジア文化研究のために中国やインドに行ったり、精力的に活動する一方、
五浦海岸の自宅にいる時は、毎日お抱えの船頭と一緒に釣りを楽しんでいたそう。

岡倉天心の博物館でとても感動したのが、彼がインド人詩人への手紙の中に残した一節。
『私の船頭は年をとった海の民で、全生涯を海の恵みと心通わせて生きる全ての
漁師同様、水の種族の流儀で育てられた一個の哲人です。
生まれながらの詩人です。なぜなら、彼は海の神秘を危険をもひっくるめて
海を読むことを知っているからです。私達は親友で、私は彼にインドの話をしてやります。
お会いになれば、たぶん彼を好きになるでしょう。』

岡倉天心が惚れ込んだ五浦海岸の環境は素晴らしく、私自身もこんな所で毎日釣りに
出られる生活がしたいと、心の底からうらやましくなった。
北茨城の住人は、この海を愛して、この海と一緒に暮らし、その暮らしが何百年も
前から続いてきたんだろう。それが、岡倉天心の船頭のような「海の民」で、
こうした人達は北茨城だけでなく、震災で被害を受けた岩手県、宮城県、福島県に
沢山いるんだろう。

今北茨城では原発事故の影響で、近郊の海での漁が禁止されている。
震災以前、釣り客で賑わった海沿いの旅館、民宿は客足が相当減ったとのこと。
「海の民」が地元の海で自分の生業ができないことが、どれほどつらいか。
それは単に収入だけでなく、彼らの生きる意味や喜びを奪ってしまったのではないか。
都会の人間が湯水のように電気を使う便利なライフスタイルを享受してきた責任を
福島の人、茨城の人だけに背負わせてしまったのではないかと、原発の代償について
改めて考えさせられた。

北茨城だけでなく、震災で被害を受けた東北地方で、海の民達が1日も早く
ストレスなくライフワークである漁業に励むことができるようになってほしいと
心の底から願いました。

天心記念五浦美術館で食べたケーキ