2012年10月31日水曜日

Silent Shanghai(山下達郎風)

今、上海は午前3時15分です。
明日提出の提案書作成で、あと3時間は帰らなさそうなのに
ちょっと煮詰まったので、ブロギング〜。

昨日は朝5時まで起きてたんだけど、上海に来て始めて
「静かな上海」を知りました。
会社を出ると小雨が降っていて、タクシーから見る夜の上海は
相変わらず汚いんだけど、家に着いて、寝ようとベッドに入ると
しとしとと小雨が地面を打つ音が聞こえた。

小雨の音が聞こえるほど静かな上海ってあるんだ、と少し感動。

雨の日の道玄坂のスタバが懐かしい

2012年10月28日日曜日

のらない

マカオのおいしいごはんの話を書こうと思っても
いまいち、気分がのらない。

というか、全体的に何に対してものらない。

上海に来て思う事。

日本にいた頃は好きな人に囲まれて生きてたんだなー。
80%くらいの時間は好きな人達と過ごしてた。

上海は、、、8%くらいかな。その差10倍!!

あー、好きな人達に囲まれたい、囲まれたい。

こっから血でてるの。

2012年10月16日火曜日

南新疆シルクロードの旅7日目:南疆鉄道で天山山脈越え

シルクロードの旅7日目、というより6日目の深夜から始まる
寝台列車による天山山脈越え!

この列車の旅、結果から言うとなかなか辛かった。
というのも、直前にクチャのバザールで食べたシシカバブの肉
火の通りが甘かったみたいで、とんでもない下痢に襲われた。

このシシカバブ、美味しかったけど火の通りが…
電車に乗って1時間もするとお腹がコロコロいいだして、これは?!と思って
トイレに駆け込むと、食後ものの1時間で見事な下痢に。
しかもこの旅、3食毎回満腹になるまで食べてるので、でてくる量もはんぱない。
お腹のコロコロ→トイレ駆け込みを30分おきに3時間は繰り返してたけど
一向に量が減る気配がなく、あたしこんなに食べてたんだ、と寝不足で
ぼーっとしながら、自分の食べた量にびっくりした。
寝台列車は4人1部屋で何度も扉を開けたり閉めたりするのがためらわれたので
外の折りたたみイスに座って、コロコロと格闘すること3時間。
ついに、コロコロを感じてトイレに行ってもおならで終わるようになったので
部屋に戻って寝ることに。おならぶーぶーしてたので、同じ部屋だった
フーダオ夫妻、すみません。この場で謝ります。

この下痢さえなければ、寝台列車で天山山脈を越えるシルクロード列車の旅は
すごく快適でした。一番値段が高い席だったので、ベットはそこそこ心地いいし
相部屋だった中国人が日本人3人に囲まれて、嫌になったのか途中で出て行ったので
実質3人で部屋使えたし。あったかいお湯もあるし、トイレも地獄トイレに
比べると全然ましだった。

いくら天山山脈が絶景だからといっても、見てるだけでお腹がいっぱいに
なるわけでもないので、17時間とにかく寝て、食って、本読んでとのんびり
過ごしてました。

南疆鉄道の車窓から(窓きたねーな)
意外だったのが食堂車のごはんがおいしかったこと。
南疆鉄道に乗った人のブログを見ると、ほとんどの人が美味しくないって
書いてたけど、私はごはんもおかずも完食しちゃいましたよ。
中国に来て間違いなく、おいしいのハードルが下がりまくってますよ。

食堂車の様子。最終日にして偶然のペアルックを披露する夫妻
ベッドの上でだらだらしながら気が向いたら本を読んで、ガイドさんに
呼ばれたらごはんを食べて、列車の旅もなかなかいいもんだ。
(でも読んでる本は柳井さんの「一勝九敗」。けつに火がついた!)

普段着お父さんがバザールで買った手乗りみかん。おいしかった。
寝台列車のテーブル。手乗りみかん、馬さんの携帯、なぞの蜂蜜ドリンク
人生初の寝台列車は、快適で楽しかったけど、もっかいやるかと言われれば
たぶんもういい。私もともと列車そんな好きじゃないから、やっぱ飛行機のがいいわ。

でも鉄っちゃんには絶対おすすめ。同じツアーのひとりさんと普段着お父さんが
鉄っちゃんらしく、スマフォのGPSを使いながらクネクネS字線路を眺めて
「こんなS字はめずらしい!ほらもうすぐトンネルだ!」と嬉しそう。

こうして、3時間の下痢と2度の食堂車での食事、「一勝九敗」一冊を経て
列車はウルムチに到着。ウルムチで少し観光する予定が、列車の到着が
遅れたので、空港近くにある老舗牛肉麺の店で急いで麺を食らう事に。

ウルムチ駅。普通の都会。
3分で完食した牛肉麺。
蘇氏牛肉面というお店。ターミナル2の対面にある建物内にあります。
ウルムチからは飛行機で上海へ、牛肉麺でふくれた腹をさすりながら
搭乗口へ向かって、今回の旅は終わりました。
今回の旅は今までの旅行の中でもTOP3に入ると思う。
色々と楽しかった要素があるけど、やっぱり私は新疆ウイグル自治区という
場所が大好きだと改めて思った。おいしいシシカバブが食べたいだけで
なぜ4000kmも飛行機に乗ったのか、フーダオ夫妻を巻き込んでまで来たかった
新疆。なんか私は新疆という土地にものすごい執着と愛着を感じてしまった。
どんなにトイレが汚くても、乾燥が激しすぎて血の鼻くそが出ようとも
食事がポロとラグ麺の2つしか選択肢がなくても、かわいい子供が
カモメまゆげのおっさんになっちゃっても、新疆が大好きだ。

ウイグル人女性のきれいなスカーフの色、塩だけで美味しいシシカバブ
風化直前の仏教遺跡、とにかく羊攻めの新疆料理、ウイグル人男性のイスラム帽子
全体的に赤茶けた街、新疆のぜんぶが好きだ。

また絶対新疆に来よう。まだまだ見たりないもの、やり残したことがいっぱいある。
次はガイドの馬さんと約束したように、バザールで羊を買って
ドライバー・ウメルさんのおうちに遊びに行って、羊をさばいて
ラグ麺とポロを作って、ウイグル族の人々の生活が見たい。
もっと遺跡をうろうろ歩きたい。バザールを1日中ふらつきたい。
また絶対新疆に行くんだーーー!!!

 
南新疆シルクロードの旅 ー完ー

2012年10月15日月曜日

南新彊シルクロードの旅6日目:クチャ

6日目は南新彊の旅、実質最後の都市クチャ郊外と市内の観光。


カシュガルからホータン、ホータンから砂漠公路でクチャへ。
クチャで観光を終えたら、南彊鉄道という天山山脈の中をクネクネと
走る寝台列車で新彊の首都・ウルムチへ向かう予定。

クチャ観光一発目は、天山神秘大峡谷。スケジュール表には
「赤い岩山の大迫力」とある。


うん、確かに赤くてでかい。観光客はけっこう多め。と言っても上海や北京と
比べたら全然少なくて、気分が萎えるほどではなかった。
中国人ってこういう観光地で写真撮る時、面白いポーズをする。
大仏のポーズしたり、お祈りのポーズしたり、写真は直立不動の日本人からすると
やや滑稽に見えるけど、私もどちらかというと変なポーズをとってしまう方なので
こんな風に見えてるんだと思った。


とにかくでかくて赤い岩が続く。
上の写真は真ん中の岩が判子に見える岩、らしい。見えないことないけど。
岩山の中にいる自分を撮りたくて、何度も自分撮りをするんだけど
全部見事に二重あごになる。。。この旅で3食きっちりお腹いっぱい食べるから
太ったのかも。旅の最初の自分撮りは二重あごじゃなかったのに。

神秘の大峡谷も1時間も歩くと、だんだん飽きてくるので
まだまだ先に進む同じツアー客のみなさんを見送って、私は引き返すことに。
団体行動に若干疲れて、一人で歩きたかったので、音楽を聞きながら
ずんずん一人で歩けるのは気持ちよかった。やっぱり旅は一人で歩く時間がないと。

大峡谷を見た後は、岩山に穴を掘りまくって、そこに仏と仏教壁画を
施したキジル千仏洞に行きました。
ここはなぜか写真を撮ってはいけないらしく、外から外観の写真のみ。


正面に見えるのが千仏洞。ここは日本語ができる専門のガイドさんが
色々解説しながらいくつかの窟を見て行きます。
仏教壁画は仏教の教えである輪廻転生を絵本風に書いているもので
それぞれありがたい(たまにばかばかしい)ストーリーがありました。
この壁画は赤、青、緑などの鉱物を溶かしたもので書かれたようで
2000年近く昔の壁画が今でもきれいにのこっていました。
とは言え、最初にこの石窟を発見したドイツ人が壁画の重要部分をはがして
ドイツに持って帰ってしまったらしく、ガイドさんは「ドイツがはがしました。
ドイツが持っていってしまった」と繰り返し言っていた。
まードイツ人が持ち帰らなくても、文革で紅衛兵がぶっこわしてたと思うので
ドイツ人に持ってかれた方が保存上はかえってよかったのではと思ったけど
どうやらドイツで保管されていたものも第二次世界大戦でかなり損失したとか。
ドイツに持ってかれなかった壁画も、金箔部分は遊牧民や紅衛兵に持ってかれた
ようで、無惨な状態になってました。それでも残っている部分はきれいな
壁画を見る事ができるので、行く価値はあると思います。

キジルの石窟を見た次は、スバシ古城遺跡。
ここもキジルと同じく4世紀くらいの仏教遺跡。この旅の観光の中で
一番のお気に入りスポット。


かなり風化してきれいに残っているところは少ないけどこの廃墟感がたまらん。
1500年前に何万にもの仏教徒が暮らした街。とにかくものすごく広い。
川を挟んで西と東に分かれていて、東は事前申し込みをしないと見れないようで
今回見たのは西側。西側から見る東側の仏塔は西よりも保存状態が良さそうで
次回は東側もぜひ見てみたいと思いました。
広大な遺跡をとことこ歩きながら、ここには住んでた人はどんな暮らしを
していたんだろう?とか、この穴には大仏でもあったのかなーなんて考えるのが
遺跡巡りの醍醐味じゃないでしょうか。

ここでちょっと新彊の遺跡話を。
タクラマカン砂漠の中には「楼蘭王国」という約2000年前から存在した
国の遺跡がある。この楼蘭王国の遺跡は、中国国内のツアーでは行くことが
できず、海外のツアーに参加しなくてはいけないそう。
トルファンから砂漠を突き進むのが一般的なアクセスのようで
この道中がとにかく大変で、ツアーにはガイド、ドライバー、医者、衛星電話と
帯同しなくてはいけない人&物がいっぱいで遅くとも半年前に申し込まなくては
いけない。しかもこの楼蘭遺跡の近くには、水が出現したり消えたりするため
「さまよえる湖」と呼ばれる 湖、ロプノールがある。
今は枯れているけど、2004年に一度復活したらしい。
いつか楼蘭遺跡も行ってみたいわい。(風の旅行社でツアーもあるみたい)

遺跡観光が終わったのは18時くらい。それでも今日の観光はまだまだ続きます。
クチャ市内に戻って、クチャのモスクを見学、さらに民家で新彊の家庭料理
(といってもいつものラグ麺とポロだが)、ナン作り体験が待ってます。

一般的なウイグル人の台所。
完成したラグ麺。やっぱり家庭のラグ麺が一番美味しい
新彊ピラフ・ポロをよそうお母さん
美しい新彊ディナーテーブル
ここんちの赤ちゃん。女の子だけどきれいな髪が生えるようにと丸刈り
一般の家庭でごはん食べさせてもらうなんて、個人ではよほど
図々しくない限り難しいので、ツアーでよかったなーと。
でも次回の新彊旅では、ヨネスケの隣りの晩ご飯よろしくゲリラ的に
一般家庭を訪問してみたいものだ。
ここではナン作りも体験して、自分で作った焼きたて熱々のナンを
はち切れそうな腹にぶっこんでやりました。表面にまぶしたゴマとタマネギが
香ばしくておいしかった〜。

夜ご飯を食べたら、23:49発の寝台列車まで時間があるということで
前日漢族のバザールに連れてかれ不発に終わったクチャのバザールに
繰り出すことになりました。

最後のシシカバブを食べた店。
色んな種類のナンがいっぱい
羊の臓物煮を売るお母さん
前日に行ったバザールだと思っていたところはやっぱりバザールではなく
「クチャ全然おもしろくない!」と言い放ったままで終わらないで良かった。
羊など動物はいないけどクチャのバザールも面白かったです。

バザールを見物したら、前日宿泊したホテルに戻って
ロビーで荷物の整理をしたり、トイレを借りて顔を洗ったり、歯を磨いたり
各自寝台列車の旅に備えました。

クチャの列車駅は薄暗い中に、乗車人数に比べると明らかに少ないベンチが
あり、発車まであと1時間はあるというのにベンチ争奪戦の様相を呈してました。
ベンチに荷物を置いたり、3席使って横になって寝ているフトドキものがいて
けしからんと思っていたら、駅員が片っ端からものすごい口調と表情で
「荷物を降ろせ、ここで寝るな、さっさと片付けろ」と注意してくでは
ありませんか。しかも実行されるまで見届ける念の入れよう。
お陰で私達も座ることができ、予定の出発時間をちょっと遅れて
ウルムチ行きの寝台列車に乗車しました。

カシュガル発ウルムチ経由ハミ行き?
観光で大忙しだったけど、新彊の魅力いっぱいの楽しい1日でした。
これから17時間かけてウルムチへ。人生初の寝台列車。
トイレがかなり不安だけど、これも体験。
次回は、南彊鉄道・寝台列車での1日とウルムチ雑感をお届けします。

2012年10月14日日曜日

南新疆シルクロードの旅5日目:砂漠−クチャ

シルクロードの旅5日目の本日は、新砂漠公路を北に向かって
ひたすら走り続ける、私達にとってはバスで寝て、たまに青空トイレタイムに
起こされる移動だけ、ウメルさんにとっては地平線にまっすぐ一本道を
500km以上進まなくてはいけない過酷な行程でした。

砂漠に一本道のみ
砂漠で唯一育つという胡楊樹がぽつりぽつりと生えている
問答無用に砂漠が続く

この日は写真を見返しても、とにかくバスで移動しかしていないので
たいした話はありません。昼ごはんは砂漠公路の途中にあった
サービスエリアのようなところで大盤鶏(ダーバンジー)という新疆料理を
食べました。上海の新疆レストランで何度か食べたことがあるけど、私これ苦手。
とにかく量が多いくて、じゃがいもがもりもり入ってる上に、最後に麺かナンを
入れてしめるから、大盤鶏食べるとそれ以外全然食べられない。
腹がふくれるせいでビールも飲めないし。

後ろの紙コップと比べるとデカさが分かる。味は美味しいんだけどね。

昼食後も砂漠公路をぶっとばし進んで行くと、砂漠が終わりかけのところで
綿花畑が現れて人生ではじめて綿花がフモフモと成る様子を知りました。

綿花畑
クチャに到着したのは午後7時半。ウメルさんのお陰で予定より少し
早く着きました。今日宿泊するクチャ飯店はおそらく政府系のホテルで
日本だったらハコモノと糾弾されそうな無意味な植物園(おそらく砂漠の
オアシス的なものがテーマ)の中にある中華レストランで夕食となりました。


中国のレストランでは当たり前のように、まんじゅうと洗面器ごはんが
どどーんと最初に持って来られる。これでビール飲めと?というつっこみは
さておき、食事自体は普通においしい中華料理です。
まー、これを自分でお金を出して食べるかと言われたら間違いなくNoですが。

こんな具合で、適当に腹を膨らませた後は、クチャの街を散策しようと
バザールを目指しました。しかしタクシーに連れて行かれたのは漢族のバザール。
反日感情が大変なことになってる現在の中国の田舎で、漢族だらけのところに
放り込まれるや、そりゃ怖いっす。
柄の悪い妖怪豚まんじゅうみたいな男が瓶ビール片手に歩いてるんだから
怖いですよ、そりゃ。こんなとこ用事はねーってことで、再度タクシーを拾って
ウイグル人のバザールへ。次に連れてかれたところも、さっきよりは
ましだけど、これ本当にバザールって感じの場所で、怪しがりながらも
とりあえず見つけた店でシシカバブとビールを見繕い、早々に一杯。

香辛料だらけで肉の臭さをごまかしてるし、やけにぐにゃぐにゃした
食感でまずいなーと思ったら、やっぱり食あたりを起こして
この日の夜は1時間おきにトイレに行かなくてはいけない下痢になりました。
フーダオ夫も同じように下痢にみまわれたらしいのですが、妻さんの方は
なんともなかったようです。どうやら中国で生きて行くには
私のばい菌耐性が低いのでしょう。

私に下痢をもたらした問題のシシカバブ

さて実質観光最終日の6日目は、クチャ郊外の天山神秘峡谷、キジル千仏洞
スバシ古城遺跡、クチャ大寺、民家でナン作り体験と大忙しの1日をレポートします。

2012年10月13日土曜日

南新疆シルクロードの旅4日目:ヤルカンド−ホータン−砂漠

4日目の今日はタクラマカン砂漠縦断へ向け、新砂漠公路の街ホータンを
目指します。ちなみに旧砂漠公路はホータンからもう200kmほど
東へ向かったニヤという街から始まるそうです。
このニヤ周辺には遺跡がたくさんあるそうで、次回の南新疆の旅では
ニヤで遺跡を見て、旧砂漠公路で砂漠縦断をしようと思います。

ヤルカンドからホータンへの道中、最近開通したチベットのラサへと3,000kmの
道のりをつなぐ新疆の新とチベットの西蔵の蔵で新蔵道路がありました。
最近の中国はこれまで悪路で旅行が大変だった場所へ新しい道路が次々と
開通し、かなり旅がしやすくなっているそうです。
私達がヤルカンドからホータンへ向かうのに走った新しい道路も一昨年開通した
ばかりで、以前は砂利道の旧道が使われていたようです。

そんなこんなで舗装された道路をずんずん東に進み、ホータンを目指すわけですが
1時を過ぎたあたりで途中の町で昼食となりました。

店構えだけ見せても辿り着けないと思いますが、念のため
この旅第二位のシシカバブ。羊好きにはたまらない南新疆

昼食後2時間も走るとホータンに到着。ホータン到着後はバザール観光。
ホータンの印象は、とにかくウイグル人がほとんどで漢族はいないのでは?
と思うほど、ウイグル度が濃く、バザールもとてもにぎわっていて
新疆の街はこうでないと!と思うような街でした。



もうねバザールはとにかくカラフルで、道行くウイグル人の子供がかわいいのよ!
女の子はかわいい子供がそのままきれいな娘さんになり、男の子は子供の頃
かわいかったのに、どうしてみんなカモメ眉毛の濃いーおっさんになっちゃうの
とウイグル人の性差を若干不思議に思いながら、街歩きを楽しみました。
フォトジェニックな街なので、写真撮影に気を取られてフーダオ夫が
団体からはぐれて切羽詰まった表情で「ほんと焦った」と追い上げてくる
様子は面白かったです。バザール散策後はホータン名物・ホータン玉(ぎょく)の
工場を見学しました。きれいな玉石がたくさんあったけど、金がないので
特に買い物せず、超高級玉石を冷やかすのみで終わりました。
玉が終われば、ついにこの旅最大の山場タクラマカン砂漠へ突入!!


砂漠への道中、一家総出の畑仕事に遭遇。トウモロコシを粉砕して羊のエサを作ってるらしい

ホータンから砂漠公路を50kmほど北に進んだ地点で、本日私達が乗る
ラクダ達が待ちぼうけしているとの連絡を受け、大至急ラクダポイントへ。
ラクダ達は随分と待たされたようで、機嫌の悪さマックス。
ほとんどのラクダが私達を乗せるため座らされるのを拒否しており
それはえげつない声でグェーグェー叫んで、しまいにはラクダ使いの少年に
思いっきりゲロをぶっかけてました。
それでもなんとか一瞬だけ座るので、その隙にとにかく急いでラクダに乗り込む。
幸い私の乗ったラクダとその後ろのラクダ(後ろのラクダの重要性は後述)は
機嫌が悪くなく、ラクダで砂漠散策はとても楽しい時間でした。

青空をバックに凛々しいラクダ達。でも叫び声はえげつなく、ゲロは激くさ
我らがキャラバン隊。この青いリュックカバーが悪夢を引き起こす
「俺、らくだ。ゲロくさいよ。ニッ!」
このラクダ体験のホットトピックといえば、上の写真の中で
青いリュック(死語?)カバーをかけているフーダオ夫が後ろのラクダに
ものすごい勢いで吠えられ続けたあげく、ゲロをぶっかけられたことです。
後ろから見てた感じだと、ラクダはリュックカバーに興奮していたよう。
てか、ラクダって吠えるの?って感じでしたが、それはそれはすごい声で
叫んでおりました。一発芸よりさらに短い一瞬芸を得意とする私は40分間
叫び続けるラクダの声を聞いて、「吠えるラクダ」という今回一緒に
旅をした人とラクダ使いぐらいしか理解できない物まねを体得しました。
すぐ前で聞いていたフーダオ妻のお墨付きもいただいてます。


心なしか口の周りが黄色いのはゲロのせい
まーまーかわいい顔をしているラクダですが、吠える時の顔といったら。
口をばかーっと開いて、ヤニや茶渋がついたようなきったない歯をむき出しに
フーダオ夫に襲いかかってました。後日開催予定の写真交換会で
夫さんが撮影したおそらく世界初であろうラクダが吠える写真を入手次第公開します。
まじで悪魔みたいな顔してますから。

フーダオ夫にとっては恐怖の、私達にとっては1年先もこれを肴に
飲めるであろう爆笑のラクダ体験は小一時間ほどで終わり乗車(乗ラクダ?)
場所に戻ってくるとそこにはテントが張ってあり、砂漠の料理人と
おぼしき人が料理の準備を始めていました。
この旅、何から何まで旅行会社がセッティングしてくれており、
当の私達といったら自分が宿泊する小型テントを張るのみ。
それでも自分のための簡易テントすら張れない私達(フーダオ夫妻と私)は
ウメルさんに手伝ってもらい、なんとか今夜の寝床を確保しました。

テントに苦戦するフーダオ夫妻、ウメルさんは1分くらいでテント張った
砂漠の晩ご飯請け負い人達。ちょっと塩辛かったけど、BBQの味は最高でした。
砂漠のディナーテーブル。前方にはお父さんお母さんとルクプル夫妻の奥様
ちょっと塩辛いけど酒が進む中華料理を食べながら砂漠の宴会
(お父さん命名)スタート。酒がないと何かとうるさい日本人に慣れているようで
ガイドの馬さんはビール、ワイン、白酒までも用意してくれました。
新疆はぶどうの産地だというのに、作られるワインは人民達が大好きな
砂糖入りのまがいものばかりなので、私達も自分で上海からワインを
しこたま持ち込みました。(「楼蘭」という新疆ワインメーカーの
プレミアムワインは砂糖も入ってないので結構おいしかった)

きらきらの星と月の下、たき火のそばでサントリーのワイン事業部に
おつとめのフーダオ夫妻のお友達からいただいたおいしい
赤ワインを楽しみました。ビールで晩酌し、ワイン2本を開けて
自分で持ち込んだ日本酒を飲んで、さらに馬さんが持ってきてくれた白酒まで
飲んでしまった私は例によって、こともあろうに砂漠で初対面からわずか
4日の皆様の前でべろべろに酔っぱらい、最後は自分のテントに半ば無理矢理
押し込まれ、飲み会強制終了となったようです。
朝起きたら、パンツいっちょでふとんをかけており、テントの中には
上海から持ち込んだつまみのせんべいが散乱しておりました。

翌朝の朝食の席で、「昨日寝言言ってた」とか「酔って同じ事を何度も言ってた」
「声がでかいから砂漠でひびく」とか知り合い歴4日の皆様から指摘を受けました。
幸い隣り近所に別のツアー客のテントがなかったので、日本でやっているような
知らない人の飲み会に乱入といった失態は避ける事ができました。
朝食は砂漠の料理人達が作ってくれたキュウリのたたきや冷やしトマト
(砂漠に放置で自動的に冷やしに)たき火であぶったトーストなど
二日酔いに優しい朝食。しかし二日酔いのはずが、旅のテンションからか
早朝から異常な食欲で、トマト、キュウリはもとより、おかゆ、ゆで卵3個
持参したカップラーメンと、とにかく食いまくりました。

ちょっと5日目朝の話が入ってしまいましたが、5日目はさらに
砂漠をひた走り、実質最後の観光目的地クチャを目指します。

2012年10月12日金曜日

Off to Macau

明日からマカオに行ってきます。
一ヶ月前に突然思いついたので、今回はひまを持て余してる
シニア(とーちゃんとかーちゃんとおばさん)を呼びつけマカオ3泊4日の旅。

電話でディナーの予約をいくつか入れたんだけど、どこも英語が通じて
うれしー!!本格的なポルトガル料理食べられるんだろうなー!

この人が来る

南新疆シルクロードの旅:お世話になった人々

今日は今回の旅で大変お世話になったガイドの馬さんと
ドライバーウメル(Umer)さんをちょっと紹介。

南新疆名物・綿花畑で赤の他人の畑から綿花を少々拝借する馬さん

今回のツアーを通してスルーガイドをしてくれたのは人が掃いて
捨てるほどいる中国でも38万人しかいないというモンゴル系少数民族
東郷族の馬さん。日本語が上手なのは当たり前で、やらなくてはいけないことは
しっかりとこなし、その上我々がレストランで食事をするたびに
自腹で購入してくれたメロンやスイカなどの果物を持ち込み、デザートとして
だしてくれる本当に気のきくガイドさんでした。
年が近いことと、思ったことが考える前に口に出てしまう自称正直な性格が
似ており馬さんのことが大好きになりました。
細かいことを気にしすぎる我らが日本人をガイドするのは本当に大変なようで
馬さんは砂漠の宴会の席で、日本人観光客をガイドする苦労をたくさん語って
くれました。日本人観光客のみなさん、集合時間が30分変わったとか
政府VIP宿泊のためホテルが変わったとか、ホテルの部屋がちょっと
水漏れしてるぐらいで文句を言ってはいけません。
私なんてホテルのトイレから床に水漏れしてるのを発見しても
一泊くらいなら大丈夫と通報せず、水漏れ箇所はスリッパをはいて
しのぎましたよ。そのぐらい中国の僻地の旅では当たり前です。
細かい事はもとより大事も気にしない、問題は自分で解決する心持ちで
中国僻地の旅へ臨みましょう。そうした方がガイドさんにも迷惑がかからないし
自分的にもイライラせずに楽しめると思います。

運転以外の時は優しい笑顔でウイグル料理を運んでくれるウメル老板

ウメルさんはガイドの馬さんと同じくらい素敵な人柄の頼れるドライバーでした。
こちらの旅では、ドライバーが所有する車とセットで仕事をお願いするようで
私達もウメルさんの33人乗りの大型バスで移動していました。
つまりウメルさんは一国一城の主で、中国で言うなら老板(ラオバン・社長の意)
なのです。このウメル老板、以前の砂漠縦断ツアーで日本人ツアー客が
砂漠で放尿中に財布を落として、気付かずに500km彼方の次の都市まで
行ってしまい、翌日には飛行機に乗らなくてはいけないという事態の時
おうちのあるホータンへの帰り道で、駐車した場所を覚えていて
月明かりしかない砂漠の中を30分かけて財布を探し、なんと見つけてしまった
という伝説を持つドライバーなのです。財布の主は御礼に中に入っていた
お金を受け取って下さいと申し出たものの、そこは男・ウメルお金は要りませんと
財布をガイドの馬さんに送って、これを馬さんが日本を送ったそう。
なんてすばらしい人なのでしょう!性格が聖人並みなのに加え、本業の方も
この旅約1500kmの間、一度も地図を見る事なく(もちろんカーナビもなし!)
最後の都市クチャまで安全運転で私達を送りお届けてくれました。
ちなみにウメルさんは3人の子供のお父さんでもうすぐ4人目が生まれるとか。
奥様は長距離ドライバーのウメルさんの安全のために毎日コーランの
お祈りをしているらしい。

これから南新疆シルクロードの旅を考えている皆様、ガイド・ドライバー指定は
できないと思いますが、試しにガイドは馬冬梅(マードンメイ)さんを
ドライバーにはウメルさんを指名してみてはいかがでしょうか。
馬さんはウメルさんを相当気に入っているようで、馬さんがガイドの場合
ウメルさんのスケジュールが埋まっていなければ、自動的にドライバーは
ウメルさんになるようです。
南新疆の旅に出て、ガイドが馬さん、ドライバーがウメルさんだったら
本当にラッキーだと思います。
ニヤの遺跡とか行けなかったところ、バザールで羊を買うとかやり残したことが
まだまだたくさんあるので南新疆へはあと何度か足を運ぼうと思ってます。
次回も必ず馬さん&ウメルさんでお願いしようっと。

4日目のホータン見物、砂漠突入、ラクダ乗り&砂漠キャンプの話を
次回お送りします。

2012年10月11日木曜日

南新疆シルクロードの旅3日目:カシュガル−ヤルカンド

さて南新疆シルクロードの旅3日目の今日はカシュガル市内の観光地を見て
午後には次なる街ヤルカンドへ移動です。

まず行ったのがカシュガルの中心地にある新疆最大のモスクエイティガール寺院。
西安のイスラム寺に行った時も思ったのですが、イスラム建築は色使いがきれい。
外見ばかりが豪華で、内装、見えないところがぼろぼろの中華物件に
見慣れているので、質素に美しいイスラム建築には非常に共感できます。

イスラム建築はきれい
上海には食用以外いないハトが新疆にはいくらか飛んでました

雨が少ない南新疆では日干しレンガが使われており、乾燥と強風のため
建物の風化が激しく、モスクは常に工事状態だとか。実際この旅で立ち寄った
モスクのほとんどがどっかしら工事してました。
ご存知の通り、イスラム教徒のみなさんは日の出前から日没後まで1日5回
サウジアラビアのメッカに向かってお祈りするそうで、モスクの床には
お祈り時一人分のスペースを示した絨毯が敷かれてました。

モスクの建物一個分が一人用のお祈りスペース

カシュガル地元ガイドのウイグル人アマレットゥさんは、ウイグル人で
あることを誇りに思い、観光客の私達にもできるだけたくさんのことを
知ってほしいようで、このモスクでは延々20分くらい説明が続きました。
色々知ることができ嬉しいですが、最後の方は飽きてモスク内を一人で
うろうろしてしまいました。このアマレットゥさんは今日でお別れなのですが
お別れ後、地球の歩き方に2回も写真が載っているのを発見しました。
ウイグル語と日本語は文法がかなり似ているので、ウイグル人にとって
中国普通語を覚えるより日本語を覚える方が楽だそう。アマレットゥさんも
日本語がたいそう上手でした。

カラクリ湖に行く前に酸素枕の使い方を説明するアマレットゥさん

イスラムの祭りローズ祭やクルバン祭の際には、十数万人が集まるという
エイティガール寺院を見た後は、寺院のすぐ横にある職人街へ。
阪○ツアーが連れ込む観光客しか買い物をしていない 土産物屋ではなく
ウイグル人職人によるウイグル人のための買い物ストリート。
その証拠にしつこい客引き一切なし。
それぞれの道に精通した職人達が専門店を構えています。

完全受注生産の鍋屋のおじいさんもナン屋の少年も職人です

歩き方によると、羊まんじゅうを蒸す巨大セイロはどうやらカシュガルでしか
作られていないようで、この職人街で作られるセイロは隣国パキスタンや
ウズベキスタンでは100米ドル前後で取引されるとか。
しかも丁寧に使っても2年が限界のため、年中注文があるらしい。
店内にあふれんばかりのセイロを見て「作りすぎでしょー!」と
笑っていたバカは私です。


セイロ以外にも観光客が欲しくなってしまうような装飾品の数々が
売られていました。上の写真はフーダオ夫妻が購入した彫り模様がきれいな
花瓶と木製の小物入れ。家のインテリアに合うかどうか夫婦で話し合っている
様子を見て、結婚ていいなーと素直に思いました。
私の家にあるのは、購入から軽く8年はたっているのに最近突如大量の虫が
沸き出した不気味なペルー人形(即刻廃棄)と小型の猿の骨で作られたペルー人形
以上に不気味なメキシコ産の置物、家に遊びに来た会社の同期に自作の
人形劇を見せてどん引きされたチェコ産の魔女と魔男(?)のマリオネット
ぐらいなもんで、ステキな部屋とはほど遠いなー。

もう変なものは買うまいと心に決めて、今回購入したのがこちら
イスラムモチーフ型のクッキーカッター。
こんな素敵な形のクッキカッター、職人街以外では見つかりません。
お値段は3つで15元(200円くらい?)。

職人街で楽しいお買い物の後は、カシュガルの昔の町並みが残る旧市街に
行ってきました。旧市街は川を隔てて西と東に分かれおり、東側から徐々に
再開発が進んでいるようで、一応景観は保ったまま家が新築されてました。

旧市街のきれい部分(上段)とボロボロ部分(下段)
異国情緒と猛烈な砂埃が漂う旧市街を堪能した後はカシュガルの有名
新疆料理レストラン「米蘭」で昼食。この米蘭、ラグ麺は美味しかったものの
新疆風トコロテン、シシカバブはあんまりいけてないのに人気店のため
料理が出されるのも遅い上、トイレがカラクリ湖トイレ以上の地獄ぶり
(フーダオさん談)らしく、あまりおすすめできません。
酒が飲めない上に、トイレも汚いなら路上の屋台の方がいいと思います。

カシュガルで一通り観光を終えたら、次なる目的地ヤルカンドへ。
ヤルカンドではアマニサハン王稜へ。これもウイグル貴族の墓の集まりに
モスクが併設されている建物でイスラム建築の美しさにおいては例外では
ありません。

建物の外観(上段)と内部(下段)
このモスクではちょうど礼拝をしているムスリムのみなさんを見る
ことができました。ペルーで観光客など1年に1度も来ないであろう
小さな町に間違えて行ってしまった時に、その町の教会で真剣に祈る
地元民を見たときと同じ気持ちになった。
宗教に頼る気持ちが弱く思える時もあるけど、人々の真摯な祈りの姿は
厳かで本当に美しいと思いました。
お祈りの時何を考えているかとムスリムのガイド馬さんに聞いたところ
「アラーは偉大なり」とか「いつかメッカに行けますように」が中心とのこと。
特にメッカは、ムスリムにとって実現したい夢のようで、メッカへは親より先に
行ってはいけないとか、借金をして周りに迷惑をかけてまで行くなとか
中国政府から1年にメッカに行ける人数が制限されているとか、中々行けない
理由がたくさんあり、生存中にメッカに行けるひとは数少ないそうです。

と3日目の話が長くなったところで、最後にヤルカンド最大の名所を紹介します。
最大の名所にして、場所も名前も分からない夕食に行ったレストラン。
ほぼ毎日食べたシシカバブの中で、断トツのうまさだったマイベスト
シシカバブを出した名も知らぬレストラン。


とにかく肉一個一個がでかくて、今さっき捌いたばかりです!と言わんばかりの
新鮮な肉はブリンブリンの弾力とさわやかな羊のうまみで
塩だけの味付けでばくばく食えます。
南新疆は土に塩が多く含まれており、塩分を含んだ草を食べて
放牧されている羊の肉質は最高なんだとか。外に干されている羊の半身は
もちろんハエがたかっていて衛生的とは言えないけど、そんなこと微塵も
きにならないほどうまい!!
今度ガイドの馬さんに連絡する予定があるので、店名と場所を聞いて
分かったら追記します。これにて3日目は終了。

4日目はこれから縦断予定の砂漠公路はじまりの街、またドライバー
ウメルさんの住む街でもあるホータンを目指してひた走ります。