2012年10月7日日曜日

民族と個人

昨日深夜1時、7日間を過ごした新きょうウイグル自治区から戻ってきた。
訪問先だった南新きょうは、人口の9割がトルコ系民族のウイグル人。

そこには、わたしの知る漢族中心の中国とはまったく違う風景がありました。
ウイグルにしても、チベットにしても、少数民族に対する中国政府の弾圧は
中国にくる前からの関心事だったので、ウイグルに来れたことは
感慨深いものがありました。

漢族中心の中国の所業に嫌気がさしていたので、ウイグル人自体
ウイグル人の生活、ウイグル人の街を手放しで喜んでました。
ウイグル旅行中は、ことあるごとに「ウイグルはいいな〜
上海と違うな〜」と思っていたのも、そう思う理由の一つに
実際にウイグル自治区が魅力的な土地であること以外に、私は漢族については
詳しいものの、ウイグル人については全く知識・交友がないこともあるかと。

漢族とは上海に住んで仕事をする上で、いいところも悪いところも
たくさん見てきた。(悪いところの方が断然多く目につく)
漢族に対するウイグル族という相対関係のもと、ウイグル族にこんなに
肩入れをしてしまう側面は否めない。これはとても危険な思想だと思う。
民族で判断するのではなく、あくまで個人レベルで判断すべき。

「なんで新きょうに行くんですか?!新きょうは泥棒だらけですよ!
男はみんなナイフを持ってるんですよ!」と、平気でとんでもないことを
言ってくる上海人スタッフに「みんなが泥棒なわけないでしょ、
上海人は全員マナーの悪い民族って言われたら嫌でしょ。」と民族全体で
ものを言うなと注意した自分が、同じ思想になっている。

それでも、中国政府がウイグル族を弾圧していること、ウイグル自治区で
漢族が優遇されていることは事実。それを背景に、綿畑で一生懸命綿花を摘む
ウイグル族の子供を見ると、漢族中国政府の所業にははらわたが煮えくり返る
怒りがこみ上げてくる。そしてそのような事実に一切目を向けずに
「ウイグル族は泥棒」などと平気で言ってのける輩には、知らないって怖いと
戦慄すら覚える。政府と民間は別とは言うものの、政府を選ぶのは国民
(中国が事実上独裁国家だということは分かってます)と考える私は
政府をだまって見ている国民も同罪だと思う。

中国で仕事をして、飯を食わせてもらっている身として
大いなる矛盾を抱えていることは百も承知だけど、実際にウイグル自治区に
行って、色々と考えた次第を書き連ねてみました。

来週からは重いテーマでなく、楽しい南新きょうタクラマカン砂漠縦断の旅
日記を書いていこうと思います。

ドライフルーツ売りのウイグルおじさん

0 件のコメント: