2014年6月27日金曜日

意外と中国が好きだった。

先週日本に帰ってきて、一週間半が経った。
今週の月曜からは日本の会社にも出勤して、
日本の生活やら仕事に慣れようとしてるけど、
うーん。慣れない。

生活しやすいことは確かだけど、なんかつまらない。
仕事もやりがいを感じないし、普段の生活もなんかおもしろくない。

中国にいた頃は、中国が恋しくなることなんてないと思ったけど、
今は中国に戻ってもいいかも、とすら考え始めている。

仕事も楽しかったし、個性的でアイデアフルで正直な
中国人ローカルスタッフ達のことは大好きだし、
生温い日本の会社にはいない意識の高い上司も恋しいし。

どうしたら日本の仕事が楽しくなるんだろう?

2014年4月15日火曜日

北茨城〜福島の旅 アクアマリンふくしま編

今回の旅行は、震災に関係があるところに行きたいと思っていたので、
北茨城を観光した翌日は「アクアマリンふくしま」という津波で被災した水族館に
行ってみることにした。

アクアマリンふくしまも、六角堂に負けないぐらい海のそばにあって、
津波の浸水により、地下にあった電源機能が失われ、多くの魚が死んで、
海獣達は他の水族館に移送しなければいけなかったそう。
(地下の電源喪失による事故で、原理は原発の事故と全く同じだと水族館の人が言っていた)

2013年3月に被災して、7月にはもう再開したといから驚き。
3年たっているから当たり前かもしれないけど、とてもきれいで、見応えのある水族館だった。
当初は復興予算が割り当てられる予定だったけど、復興予算を待っていたら再開に
何年かかるか分からない、また各方面から寄付の申し出があったことから、短期間で再開できたそう。
アクアマリンふくしまに寄付を申し出たのは、ヤマト運輸が運営する財団と
クウェート大使館で、彼らからの莫大な寄付により、復興予算を待つことなく、
短期間で再開することができたそう。
アクアマリンふくしまの館長が以前クウェートの研究機関で働いていたことがあってのことらしい。

クウェート大使館のサイトを調べてみたら、クウェートは震災以降今でも継続的に
チャリティーバザーや大使の被災地訪問という形で支援を続けている。
http://www.kuwait-embassy.or.jp/J_index.html 
海外の人ですら被災地のことを忘れずに支援をしているので、私も日頃から
何かの役に立てるよう考え続けていきたい。

<アクアマリンふくしまでよかったものランキング!>
第一位:トド

トド三兄弟(血はつながってない)が並ぶ
こんな顔して上に上がってくのよ、トドは

ゴマアザラシの隣りの水槽で、海獣くくりとして展示されていたトド。
メス2匹、オス1匹で、そのオスがまじ超巨大。
500キロは余裕で超えていそうな巨体で、しかも岩の上に登って野太い声で吠えまくり。
アクリル板1枚の向こうにトドがいて大迫力なので、1日中見ていても飽きなそう。

第二位:イワシの群れ

新鮮なイワシがいっぱい!

アクアマリンふくしまで一番大きな水槽(V字水槽と呼ばれていた)には、
イワシ、アジ、カツオ、マグロ、エイなどおいそうな魚が一緒に展示されていて、
巨大水槽の上方と下方の両方から見ることができる。
水族館の水槽は光の屈折を利用して、魚側から人間が見えないようにしているそうで、
(魚がびっくりして奥に引っ込まないように)
このイワシ達も人間が近づいても、フワフワと見物人の前を泳いでいた。
水槽の上部からイワシの群れ越しに、下の方にマグロが回遊している様子は、
既視感ゼロの新鮮な視界だった。

第三位:カミクラゲ


フォトショップなしでこの美しさ!
触手(クラゲの下からでてる紐みたいなやつ)が髪の毛のように細いので、
カミクラゲと呼ばれているこのクラゲ。水槽に放り込まれているだけなのに、
なぜこんなに神秘的なのか。山形にはクラゲ専門の水族館もあるらしいので、
是非行ってみたい。

番外編:レストランとお土産
水族館の中にあるレストランで食べた「カジキのメンチ定食」と魚の形をした
大判焼きのようなものがとてもおいしかった。


カジキのメンチ定食は写真撮り忘れたけど、しっとりしててタルタルソースと
よく合って、一緒についてきたくらむチャウダーも めっちゃうまかった。

お土産屋では、サンマが泳いでいる姿を年中みることができる世界で唯一の
水族館を名乗るアクアマリンふくしまらしく、サンマのバクプリが入った
オリジナルTシャツを買って帰りました。

いやー、アクアマリンふくしま、楽しかったわ。

2014年4月11日金曜日

北茨城〜福島の旅 海の幸編

岡倉天心の六角堂を見た後、小腹が減ったので、近くにあった「船頭料理 天心丸
という小料理屋(定食屋?)で昼ごはんにすることに。
後でネットで調べて知ったんだけど、地元ではデカ盛りのお店として有名らしい。
知らずに頼んだ刺身定食は、刺身1枚がiPhone並みのでかさ。

刺身だけでみるとそんなに大きく見えないけど
iPhoneと比べると刺身としては巨大(変顔中なのでモザイク)

タイ、マグロ、カツオ、サーモン、イカ、ブリ、エビ、生白魚、生シラスの合計9種類の
刺身がそれぞれ2枚。鮮度もいいし、おいしいんだけど、それぞれを1枚食べた後は、
気持ち悪くなってしまい、刺身を見るのも嫌になるほどに。。。
刺身定食だけでなく、煮魚や焼き魚定食もデカ盛りらしいので、よほどの大食いでない限り、
2人で一人前を食べるのが無難。

五浦海岸で六角堂を見て、天心五浦記念美術館を見た後、宿泊券が当たった例の民宿に向かった。
やまに郷作」という民宿で、平潟港がある海岸まで歩いて数分。
海の幸やアンコウ料理を食べさせてくれ、しかも天然温泉まで出るという最高の宿だった。

温泉は塩化物泉という塩を多く含んだ泉質なので、湯冷めしにくいらしい。
てか、ここの温泉すごくよかった!
こじんまりしたヒノキ枠の枕木で作られたお風呂で、お湯もしっとりしていて、
今まで行った温泉の中でも3本指に入るぐらいよかった。
こんな温泉に毎日入れたら、体の冷えなんて無縁で痩せやすい体質になるだろうに。

風呂を浴びたあとは、楽しみにしていたアンコウ料理!

アンコウの湯通ししたやつ
なんか色々な部位が入ってて、出汁が濃厚なうま鍋

初めてアンコウを食べたけど、中国でよく食べているカエルにかなり近い。
ちなみにカエルはむっちりした白身で、ぱさつきがなく、しっとりしていて、とてもおいしい。
けど、カエルは肉が少なくて、小骨も多いので、アンコウの方が断然食べやすい。

 最高の温泉とアンコウ料理づくしで、1泊10,000円前後だからとっても安いと思う。
原発事故の漁禁止が解除されたら、日中は釣りをして、宿に戻って温泉入って、
夜はアンコウ料理で宴会とか、親しい友達や親族でやったらかなり楽しそう。

というわけで、日本に帰任したら、北茨城に友達と遊びに行く!という計画ができました。

2014年4月10日木曜日

北茨城〜福島の旅 海の民編

母親がとあるキャンペーンに応募して、北茨城の民宿の宿泊券が当たったらしい。
ちょうど私も日本に一時帰国していたので、2人で北茨城に行ってみることにした。

調べたのはカーナビに入力するための旅館の住所だけで、あとは行き当たりばったり
適当に行こうということで、満開の桜が咲く隅田川沿いの首都高と、うって変わって
周りに何も無い常磐道をぶっとばすこと3時間。北茨城市に到着。

■人口:約44,000人
■有名なもの・人:あんこう、海の幸、岡倉天心、野口雨情(シャボン玉で知られる童謡詩人)

常磐道を降りて、最初に向かったのが五浦(いづら)海岸。
私自身はこの海岸を知らなかったけど、母親が震災後のニュースで五浦海岸の六角堂なる
建物が津波で全壊・流失したことを知っており、その六角堂が何なのか
見に行こうということに。

五浦海岸の六角堂は、日本美術のオピニオンリーダー&思想家であった岡倉天心が
建てたもので、詳しく説明すると以下。
岡倉天心が日本美術発展のために作った美術学校で起きたクーデターのため、
校長の座を追われた後、第二の人生の地として選んだのが五浦海岸。
そこに自宅やクーデターで一緒に退学した横山大観ら弟子達のためのアトリエ兼住宅を建てた。
六角堂はその一連の建物の一部で、敷地の中で最も海に面した景観のよい場所に
建てられた岡倉天心のための思想基地。

本当に海っぱたにある六角堂
六角堂からの景色
六角堂からの景色

岡倉天心と言えば、なんでも鑑定団でしか聞いたことがなかったけど、
六角堂に併設されている博物館を訪ねて、私が好きな感じの文化人であることが分かった。
彼は、自分で作った美術学校を追われて以降、日本美術や日本の思想をひも解くことや
海外に紹介することに尽力し、ボストン美術館の東洋美術部長を務めたり、
アジア文化研究のために中国やインドに行ったり、精力的に活動する一方、
五浦海岸の自宅にいる時は、毎日お抱えの船頭と一緒に釣りを楽しんでいたそう。

岡倉天心の博物館でとても感動したのが、彼がインド人詩人への手紙の中に残した一節。
『私の船頭は年をとった海の民で、全生涯を海の恵みと心通わせて生きる全ての
漁師同様、水の種族の流儀で育てられた一個の哲人です。
生まれながらの詩人です。なぜなら、彼は海の神秘を危険をもひっくるめて
海を読むことを知っているからです。私達は親友で、私は彼にインドの話をしてやります。
お会いになれば、たぶん彼を好きになるでしょう。』

岡倉天心が惚れ込んだ五浦海岸の環境は素晴らしく、私自身もこんな所で毎日釣りに
出られる生活がしたいと、心の底からうらやましくなった。
北茨城の住人は、この海を愛して、この海と一緒に暮らし、その暮らしが何百年も
前から続いてきたんだろう。それが、岡倉天心の船頭のような「海の民」で、
こうした人達は北茨城だけでなく、震災で被害を受けた岩手県、宮城県、福島県に
沢山いるんだろう。

今北茨城では原発事故の影響で、近郊の海での漁が禁止されている。
震災以前、釣り客で賑わった海沿いの旅館、民宿は客足が相当減ったとのこと。
「海の民」が地元の海で自分の生業ができないことが、どれほどつらいか。
それは単に収入だけでなく、彼らの生きる意味や喜びを奪ってしまったのではないか。
都会の人間が湯水のように電気を使う便利なライフスタイルを享受してきた責任を
福島の人、茨城の人だけに背負わせてしまったのではないかと、原発の代償について
改めて考えさせられた。

北茨城だけでなく、震災で被害を受けた東北地方で、海の民達が1日も早く
ストレスなくライフワークである漁業に励むことができるようになってほしいと
心の底から願いました。

天心記念五浦美術館で食べたケーキ

2014年3月14日金曜日

中国の正しい年越し

中国で春節と呼ばれる旧暦の正月は、大体いつも2月の頭から約一週間ほどの休暇。
いつもは日本に帰っているんだけど、今年の春節は連休初日のチケットが取れなかったので、
会社が休みになってから、日本かえるまでの数日間どうしよーと思っていたら、
仲の良い中国人社員・ワンジュオ君から「それでは中国流の年越しをうちで体験しよう!」と、
大晦日(今年は1月31日)の夜ごはんに誘ってもらった。

特に中国流の年越しに対して予備知識もなく、フラフラと言われるままに
ワンジュオ宅に行ったんだけど、これがめーーーっちゃ楽しかった!

年越しディナーのメニュー。ざっと15品。

ワンジュオのおうちに行くと、お客さんが来るとのことで
お父さんがすでに年越しディナー用のごはんを作っていた。
ピーマンの下には、作るメニューが書かれているメモ。お父ちゃん、超やさしい。
中国人の客人をもてなすパワーはものすごくて、社員の家に行くといつも
これでもかというほどのご馳走を食べさせてくれ、客人は片付けを手伝う素振りを
見せただけで怒られるほど。

お父さんの料理が終わるまで、中国の年越し準備を手伝うことに。
といっても、中国の家ならどこでも玄関に張ってある「福」という文字を
逆さにした縁起物のポスターを張り替えるだけ。

張り替え作業中。派手だな〜
今年のポスターを手に決め顔のワンジュオ

同じものを張り続けてると思いきや、毎年張り替えなくてはいけないみたい。
ちなみに中国には、年男・女は赤い物を身につけるという習慣があり、
年男のワンジュオは、赤いパーカーに赤いブレスレット、赤いパンツまで身につけていた。

ポスター張り替えたり、色々としていたら、お父さんの料理が終わり、
ついに年越し宴会スタート!!

品数が多すぎて秘技「重ね置き」炸裂中
重慶出身のお母さんのために北京人のお父さんが覚えたという重慶の辛い汁ビーフン
洗面器汁ビーフンを笑顔で取り分けるお父さん

料理は全部とっても美味しくて、特にこの洗面器汁ビーフンはお店では
味わえないまさに家庭の味。今度このビーフンを習う予定。
16時から始まった宴会は、とにかく品数がすごいから食って食って食いまくり。
18時過ぎには、ワンジュオの従姉妹のお姉さんが彼氏(台湾人と日本人のハーフ)が
も加わって、大変にぎやかな宴会に。

香港大手TV局の鳳凰TVのお天気お姉さんをしている超美人の従姉妹

 もう食えねーってぐらい腹がパンパンになったら、中国の紅白と言われている
『春節晩会』という番組を12時までみんなで仲良く鑑賞します。

晩会の音楽に対していきなり指揮をしだす父ちゃんw

そして12時をまわったら、一家総出で花火&爆竹をしに、
マンションの広場へと向かうのです。

外でたらこんなん。花火と爆竹で内戦みたい。
爆竹の大凶音から逃げ惑う私
最後はみんなで手持ち花火

この花火と爆竹、すぐ隣りにガソリンが入った車が大量に停めてあるのに、
マンション中の住民が、自分勝手にどんどんばんばんやりまくってて超危険。
これでも大気汚染とか景気とかで、昔より大分大人しくなったらしい。

年越しは水餃子。これも父ちゃん手作り。

怒濤の爆竹から帰ってくると、みんなでゆっくり水餃子。
日本の年越しそばにあたるものは、中国では水餃子らしく、みんなで
つるつるとおいしくいただきました。

つまり中国式の年越しは総合すると
■とにかくご馳走を食いまくる
■12時過ぎたら爆竹・花火をあげまくる
■年越しフードは水餃子
ということでした。

中国式の年越しを体験して、これでさらに心置きなく日本に帰れる。


2014年3月13日木曜日

中国卒業旅行

上海で仲良くしてもらっていた10才年上の親友改め上海の母改め料理の鉄人から
彼女もまた5月には晴れて上海卒業→日本在住になる知らせを受けた。

上海の中心部にあって交通の便がいいのに、周りが静かな超高級マンション!
なのにシャワーのお湯が15分しかでない、なんだかあたしの北京の家より寒い、
超高級だけど、ちょっと残念な上海時代に何度もお邪魔したあの家で、
お互いの中国卒業を祝うパーティーをするため(ただ上海の母の料理が食べたかっただけ)
実は東京⇔広島間もの距離がある上海まではるばる北京から行ってきました。

■1日目
上海に11時くらい到着した1日目の昼は郊外に遠出して小龍包を食べる計画を
あっさり取りやめて、近所のインドカレー屋に。
その後、日本に帰ったら中国の思い出として唯一恋しくなるであろう
ドラム缶焼き芋売りを発見。再利用されたドラム缶で焼かれたサツマイモなんだけど、
ドラム缶に何が入っていたか分からないということで、避ける人も多いらしいけど、
とにかくサツマイモが日本の3倍くらいホクホクねっとりで甘いので
母も私も一目散に焼き芋売りのおっちゃんに近づいていった。

インドカレーと焼き芋で腹がパンパンになったはずなのに、
18時を過ぎると不思議とお腹がすくもので、夜はさっそく目的である母の手料理を
いただきましたー!!!

この日の前菜

このお宅ではNARUMIのヴィンテージのお皿が前菜に使われるのが恒例なんだけど、
私はこのお皿を見ただけで、よだれがでるパブロフの犬ならぬナルミの犬状態。

<今日の前菜:ジャガイモとアボカドのあったか前菜※私が勝手に命名>
①ジャガイモは事前にレンジでチンして柔らかくしておく。
②フライパンにオリーブオイルをたっぷり目にひいて、ジャガイモと細かく
 切ったアボカドを炒める。
③塩・コショウをして、醤油をまわしかける。

これが超おいしかったの!アボカドは炒めるとネトネトになって、
じゃがいもに絡み付いて、魔法の調味料のようになった。
この日は博多のもつ鍋有名店「おおいし」の上海支店からお取り寄せした
もつ鍋がメインだったけど、写真撮り忘れた…。

ビールとウイスキーで適度に酔っぱらい、もつ鍋をやっつけた後は、
なぜか母が集めているフチ子さんの撮影会に。

プライベートフチ子も混ざる
仕事せずに遊ぶOLフチ子たち
わさわさいるフチ子

一眼レフで撮るフチ子たち…。超フォトジェニック!
これが上海卒業旅行1日目でした。

■2日目
2日目はつい最近まで北京の会社で一緒に働いていた中国人社員の女子と
その彼氏とお昼ごはんを一緒に食べてきた。
北京のマクドナルドで奇跡のナンパによりイケメン台湾人とつき合う事になり、
上海に転勤した彼と結婚を前提にした同棲をするため、上海に引っ越していった
若干22才の女子。
まー予想通りあまり美味しくない中華だったので、あんまりお腹を膨らまさないよう
少しだけ食べて、楽しいおしゃべりだけに集中。

そして、夜はこの卒業旅行最大のクライマックス(あたし的に)!
ごちそうでワイン飲みまくり!!

お酒も料理も全部母が用意してくれたので、私は食べるだけ、飲むだけで
本当に申し訳なかったけど、ここの家のごちそうとワインにかなうものはありません!
今日のメインは、最近母が開眼したという赤身の牛肉。

今日の主役ニュージーランドヒレ肉をちら見せ
でました。NARUMIの前菜 
まずは泡〜♪ソムリエのような仕草でワインを注ぐ旦那殿
キターー!!!!ヒレ肉と赤ワインーーー!!!

<今日の前菜:じゃがいものブルーチーズ和え>
①ジャガイモの皮を剥いて柔らかくなるまでチンする。
②ジャガイモが熱いうちに、ブルーチーズをぶっこんで和える。
③アーモンド等家にあるナッツ類を砕いてこれもぶっこむ。

このジャガイモとブルーチーズのほくほくねっとりを泡でさっぱりさせてもよし、
赤で濃厚×濃厚を楽しんでもよし。
ちにみにこの日のヒレ肉は頭の中で興奮物質が出ているのが自分でも分かるほど
ここ最近感じていなかった食べ物による興奮だった。
食べ始めたばかりだと言うのに、「おいしいと思う幸せ」が「このおいしい物体が
どんどん小さくなってしまう悲しさ」に負けてしまうほどのおいしさ。
分かりづらいか…。

しかもまた飲ませてもらった赤ワインがうめーっんだ!
飲んだ瞬間に母と目を合わせて「まろやか!」と言ってしまうほど
うんめー赤ワインとヒレ肉のステーキで、卒業旅行をしめくくるにふさわしい
最後の晩餐だった。

私も赤身に目覚めました!
日本帰ったらデパートで赤身買って、家で焼きます!!
これで心置きなく日本に帰れます!

2014年1月24日金曜日

問題は…

今週日曜は、旧正月連休の振替出勤。
駐在員の間で悪名高い中国の「祝日振替出勤制度」

おかげで、今週のお休みは土曜だけ。

土曜にはやらなくてはいけないことがいっぱいなので、
朝食兼昼食のサタデーブランチとしてガレットを作るのか、


昼食兼夕食として、おでんを作るのか、


それが問題だ。

2014年1月21日火曜日

中国を振り返ると

遅くとも3月中には日本に永久帰国できると言われていたのに、
フタを開けてみれば、やっぱり、色々な事情が発生して、4月の中旬まで
北京にいなくてはならず、その知らせを聞いた日は、あまりのショックに
おやつに買ったガルボ(特大の箱)を、ぼーぜんとしながら完食してしまった。

それでも、日本の会社での所属先も決まりそうだし、親が東京から引っ越す前に
引っ越し準備等で一時帰国させてくれるなど、会社側も譲歩してくれたので、
3月中に帰ることは諦めて、ダライラマの境地で残りの中国生活を過ごします。

まだ3ヶ月は北京にいるから、振り返るには早いけど、
今は中国に来て、本当に本当によかったと心から思える。

上海の2年間は正直、本当にきつかった。
色々な状況や事情が重なり合って、自分で解決できる事とできない事の違いが
分からなくなっており、どうしよもないことで自分を責めたり、
自分でも解決できるのに人のせいにしたり、今振り返ると暗黒の2年だった。
でも北京に転勤になって、幸運にも恵まれたクライアント&社内環境で
仕事ができるようになってからは、冷静に上海での生活を振り返ることが
できるようになった。

上海では精神的に追いつめられて、挫折だらけの毎日の中でも仕事面では、
一生懸命努力をしていたつもりだし、どうにもならない状況でも何かできないかと
自分に過度なプレッシャーをかけていた。しかもプレッシャーのかけどころが
全然見当違いで、今思い出すと自分のことながら本当に笑ってしまう。
でもそうやって、腐らずに、クライアントのためにと思って諦めなかったから、
今恵まれた環境で、自分の仕事をこなし、一緒に働く人から信頼してもらえてるんだと思う。

辛い経験が、挫折が、今までは点としてだけ存在していて、
それは自分の人生の中でもただの辛い思い出としてだけ記録されていたものが、
その複数の点が線でつながって、今の自分に至る。
Steve JobsがStanford大学でやった伝説のスピーチで言っていた、
「点と点をつないで線にする」、この作業が人生の重要な構成要素なんだろうなー。

もう一度、あの暗黒の2年間を繰り返すのは、まじで勘弁してほしいけど、
それでも3年前の3月、もう一度中国に行くかと聞かれたら、やっぱり行きたい。
そして、私は中国という国の習慣や政治や文化がやっぱり好きになれないけど、
今まで会った中国人には感謝したい。
特に、こんなわがままで横暴な私につき合って、一緒に仕事をしてくれた
上海、北京の同僚達には。
みんな私にとって、とっても大切な同僚です!!ありがとう!