2013年7月24日水曜日

自分の定義

先日仕事関係の人と雑談していたら、「死ぬ時は提案書を完成させて、
提案書を添付したメールの送信ボタンを押して、デスクで力尽きるのが
プランナーだ!」みたいなことを、もちろん冗談だけど言っていた。

その人は広告代理店のプランナーで、おかげで私もしこたま働かされてるわけで…。
その言葉を聞いたとき、私はどんな風に死にたいだろうとふと考えた。
私は今死ななきゃいけないとしたら、家族に囲まれて死にたいと思った。
お母さんの娘として、お父さんの娘として、妹の姉として死にたい。

実はどういう風に死にたいかは、どういう風に生きたいかと同じではないか。
私は、両親の娘として、妹の姉として、親友の友達として、職場の信頼できる
(仕事ができるとイコールではない)同僚として生きたい。
今までは、どうやって「自分らしく」生きていくかばかり考えていたけど、
「自分」って、周囲の人との関係によって作られるもので、じゃあ自分は何なのかと
考えると、それは私の場合、前述の両親の娘で、妹の姉で。。。ということになる。

今日そんなことをグルグルと考えていたら、人生の視点が完全に変わった!
これまでずっと自分で自分を定義しようとしていたけど、そんな事しなくていいんだ。
自分というのは、大切な人にとって自分がどういう存在かで定義されるんだ。

そう考えると、家族を持つことの大切さも分かる。
この世に生まれたからには、親がいるわけで、人は生まれながらにして
親にとって大切な子供という定義を手に入れ、学校で友達ができ、職場で信頼できる
上司や同僚に出会い、それぞれの場所で「自分」を得ていく。
そして、結婚すると大切な旦那さん(奥さん)にとっての大切な人という定義を手に入れ、
子供が生まれると、子供にとって大好きな親という定義を手に入れる。
家族ができるということは、より多くの定義、自分が存在する意味を
手に入れることを意味する。

けど家族を持つことが絶対というわけではないと思う。
家族以外にも、色んな人との関係の中で、自分が他人にとってどういう存在かを
大切にしていけばいいんだろう。そんな大それたものでなくても、
自分が好きだと思う人、大切だと思う人にとって、その人の支えになる存在でいたいと
思う気持ちとその気持ちを表すことが大切なんだろう。。。たぶん。


家族(親戚)がいっぱい♪

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